更新日:2006/06/06(火) 22:43

西表島への道

交通機関

 南海の秘境西表島への道は厳しい。夏から秋にかけて襲い来る台風は大型で、西表島への進路をはばみ、冬毎日のように吹き荒れる季節風は、空・海のダイヤを狂わせ、また、西表島をとり囲む珊瑚礁は、干潮時になると船底と接触する程に頭をもたげ、着岸を困難にする。
 那覇から西表島へ直接通ずる交通機関は全くなく、空路、海路いずれもいったんは石垣島へ渡り、石垣港から小型船(20〜50トン)を利用して渡る以外に道はない。
 七つの離れ小島からなる竹富町は町の名をなしていても、文化、経済の大部分が石垣市に頼っているため、離島間の交流はうすく直接離れ島を結ぶ定期船もなく、いったん石垣市に出て、そこから再び船を乗りついで目的地に向かうしかない。しかし、1972年4月より、石垣〜西表間に新たにホーバークラフトが就航する。俊足でどこにでも着岸できるこのホーバーは、「海の新幹線」ともいうべき最新型の客船であり、港が不備でちょっとした荒波や、潮の干満に左右されてきた西表航路には、うってつけの海上輸送機関といえよう。地元民の今後のホーバークラフトに寄せる期待は大きい。
 ポンポン船からホーバークラフトに変わったとはいえ、西表島はやはり海を隔てた向こうであり、交通状況、天候が旅の大きなポイントとなるので、海の時化る1、2月と台風シーズンの8、9月に西表へ旅する時は、日数に余裕を持って計画を立てた方がよい。

那覇から石垣へ

 沖縄内における交通路のほとんどが那覇を拠点としている。特に島外への交通は、空路が那覇空港、海路は那覇・泊の両港がその中心となっており、その中でも石垣島への渡航は、泊港が利用されており、沖縄丸(琉球海運1,200トン)八汐丸(有村産業700トン)が定期的に運行している。
 那覇から448qの南方洋上に位置し、海抜525m(琉球列島中最高標高)のオモト岳を擁する石垣島へは、飛行機で1時間半、週刊誌1冊読み終わらぬうちに着いてしまう。又、海路だと約18時間、夕刻那覇を出て、翌朝はもう石垣である。
 7月・8月のシーズンともなると、この航路は若者でいっぱいである。帰省学生に観光客、旅行者、行先が台湾、与那国、西表島とバラエティーに富み、船はほとんど定員オーバーの状態で港を出ていく。

石垣より西表各地へ

 西表島へ渡る交通機関は今のところ船舶以外にない。石垣港より、与那国・竹富島・西表島各地への船が出入りしており、西表島へは、第一、第三東光丸、第三幸八丸、住吉丸がそれぞれ、大原、白浜、船浦へと運航している。どの船も個人の持ち船で、20〜50トン級の小型船であり、50人も乗れば満員になってしまう。大原へは毎日定期的に出るが白浜、船浦には隔日あるいは3、4日おきの運航である。天気がくずれ海が荒れた時には10日以上も待たなければならないときがある。比較的に波のしずかな東部へは、少しぐらい風が強くても船は出るが、外洋を大廻りする西部の方の白浜、船浦へは西表島の北方に波の荒い難所があるため、海が時化るとめったなことでも出発しない。1972年4月よりホーバークラフトが就航する予定であるが、このホーバーも、大原向けに運航するだけであり、高波によわいため西表島西部や鳩間島、波照間島へは不定期運航になるもよう。

西表東部、大原へ

 西表島東部において、直接船の着けられる港は、大原の桟橋だけである。東部一体の海岸は遠浅になっており、その他のところはサバニを入れるしかない。大原へは、石垣より第一東光丸、第三東光丸が交替で毎日定期的に運航しているが、桟橋のあるところもはやり遠浅になっているため、潮の干満に合わせて船を着ける状態であり、石垣からの出港もまちまちで、一力月のうち、午前中と午後の出港が半々になっている。
 ところが、このようなローカル色豊かな渡航風景もやがてみられなくなる。というのもこの石垣〜大原間には、四月より、ホーバークラフトが就航する予定であり、定員50名、「蚊龍」と名付けられているこのホーバーは、竹富町が管理運営し、石垣港を基点に、竹富島、小浜島、黒島、新城島、西表東部を結ぶことになっている。これにより、これまで2時間もかかった石垣〜大原間を約20分。30分要した竹富島へは、たった14分に短縮するというスピードアップで、まさに水上飛行機といったところである。
 石垣〜大原間の運賃は、ホーバーは、これまでの小型船の約2倍、1弗(360円)程度になるらしいが、町の計画では、ホーバーは主に人員輸送につかい、小型船は荷物輸送に回すとのことである。時間に余裕のある方は、船で二時間、潮風に吹かれるのもよし、青い海原と、目の前に迫り来る西表島は、旅人の旅情をかきたてずにはおかないだろう。

東部、陸の交通

 「人の子よ、そこのけそこのけバスが通る」。船が大原の桟橋へ着く頃、マイクロバスが道も狭しと港のなだらかな坂をゆっくりと降りてくる。
 現在、西表ではバスの定期便はなく、船の発着の際に、大原を基点として豊原、大富まで運行するが、古見、美原、高那の各地域は運送会社の採算がとれないとのことで、文明の利器バスの恩恵を受けることができない。
 自家用のピックアップに腰掛けを据えつけた即席バスを利用したり、自家用車を借りたりする他は、この地域への交通はない。団体で出かけるような場合はバスを借り切ることも可能である。1人や2人なら、西表の人々が気さくに車を止めてくれヒッチをすることもできるが、迷惑にならないよう気をつけなければいけない。
 大原から豊原へ出る部落のはずれに、給油所と向かい合って、”玉盛運輸”がある。そこを訪ねて話を聞いた。「島の人々の為にとやってるのですが、ほとんど採算なんかとれませんよ。定期路線ができるよう政府への申請はしてありますから近いうちに定期バスが走るようになるでしよう。」とのことだった。

仲間川へのチャーター

 両岸にマングローブを見つつ、エンジンの音を聞きつつ「密林の大河」仲間川をゆっくりとさかのぼるのは西表ならではの醍醐味である。舟は河口の部落大富を基点とする。部落には仲間川のぼりを専門にする船頭さんや、漁を営みながら観光客を案内する船頭さんなど幾人か居るが、チャーターのことに関しては大富の共同売店で尋ねるのが良い。科金は船頭さんとの交渉次第で決まるが、基本科金として普通1人でも4弗程度である。舟に乗る人員数、荷物の量によっても少々変わる。なお、最大積載量は、潮の干満、舟の大きさなどによってもちがいがあるので、その点は当地で船頭さんとの交渉によって決まる。

白浜へ

 白浜の人々は、石垣からの船を首を長くして待っている。白浜行きの第三幸八丸の船倉には、食糧品、衣料品、燃料、日用品等々がどっさり積み込まれ、あたかも幸福をもたらす宝船の如く、波をけってやって来る。幸八丸は西表島の北海岸を左手に望み、時折押し寄せて来る荒波を船体一杯に受けながら進む。北沖合の海は特に波の荒れが激しく、晴れた日でさえ船体は大きく揺れる。たまたま欠航する理由が、そこを通った人には理解できよう。
 石垣港より西表西南部の中心地白浜へは、約3時間半で着く。運賃1弗(360円)の隔日運航で、幸八丸が白浜行きの唯一の定期船である。しかし台風の時や、冬、季節風の吹き荒れる頃になると、一週間ないしそれ以上の運航停止があるので、一週間そこそこの計画でもって西表旅行に出かけてくる人は、天候には充分注意をはらう必要がある。

白浜からの交通

 さて白浜に着くと次は船浮、内離、外離島、クイラ川のぼり、仲良川のぼり、旧網取、ウダラ川河口等へと足を延ばす人もあろうから、その辺の交通、費用について記そう。
 まず前記の箇所へ行くには、定期的な舟が全くないので、サバニをチャーターして行かねばならない。しかし内離島へは、干潮時を利用すれば歩いて行くことができ、また外離島へも内離島より対岸のヨニ崎ヘ、干潮時を利用すれば渡ることができる。
 チャーターした舟は、自分の思う所へ着岸させることができるので便利ではある。サバニに乗れるのは普通6〜7名が限度で、科金は距離によってさまざまである。網取、ウダラ川、河口、クイラ川上流まで各々片道5〜6弗。船浮まで3弗。内離島まで1弗。外離島まで2〜3弗。仲良川のぼり5〜6弗が相場であるが、交渉の仕方によってある程度の差は出るだろう。
 サバニは6〜7名乗りの小型なので、海が荒れると全く身動きがとれなくなる。特にサバ崎あたりは、晴れた日でもかなり波が荒れており、冬、季節風の強く吹く頃になると、船頭さんはその辺を通ることを嫌がる。サバ崎にまだ灯台の設置されてなかった頃は、このあたりで遭難する船が多かったらしい。また、ゴリラの顔に似た大きな岩が周囲を見下ろしているさまは、実に不気味で、灯台が設置された現在でも、海の男達から恐れられてその名も高い。