更新日:2006/06/19(月) 23:22

西表島西南部半島一周

白浜−ウダラ川−鹿ノ川湾

 白浜でチャーターしたサバニは、ポンポンとモーターの音も勢いよく港を飛び出し、あたかも一面水色のジュウタンを敷き詰めたような仲良湾に、一筋純白の波を残して、船浮湾へと入る。船浮湾ではしばしば外国の大型船が、その船体を休ませていることがある。大きく開いた入口と、その奥に潜む静かで広大な船浮湾は、避難港としての貫禄を充分秘め、訪れる船を待ちわびる。
 船浮湾に別れを告げようとする頃から急に波が荒れだし、小さなサバニは、波にもてあそばれているかのように、右に左に大きく揺れ、バチャンバチャンと船底にぶちあたる波の音におののく。押し寄せる大波と小波の高さはひどい時など、2〜3mにも達し、進行中、波のしぶきを浴びることは、ごくあたりまえのことである。
 サバニは波にもまれつつ、白い灯台の立つサバ崎へとさしかかる。ここは最も波が荒れ、危険な地域として船頭さんからも恐れられている。船は激しく揺れ動き、しぶきが全身に浴びせられ、終始恐怖におののき、寿命の縮まる思いのするところである。ゴリラ岩の真下を通り過ぎると、波も穏やかになり、滑るように網取湾へと入って行く。右手に、静かに立ち並ぶ旧網取部落の無人の家々を眺めながら、舟はゆっくりとウダラ河口ヘ舳先を向けて進む。右手の鋭い岩肌と、左手の白い砂浜は対象的で、趣がある。
西南半島
 サバニは、河口付近に繁茂するマングローブ林の中を悠悠と進んで行く。ヒルギの木で戯れていたカニがにわかに騒ぎ出す。静寂の中のカサカサという音は、旅する人の心を捕え、強い印象を与える。サバニは、マングローブ林の切れた地点でエンジンを止める。(これは満潮時のことで、干潮時には舟の着岸場所が異なり、マングローブ林の約100m手前にて降り、そこからマングローブ林を通り抜けなければならない。)白浜よりウダラ河口までの所要時間は40分。船を降りた付近ではアダンの群落が目に付く。ヒルギの木には道標が打たれており、鹿ノ川湾への入り口が示されている。入口は大きく開き、両側にはアダンが群生し、その木に塗られた白いペンキの矢印がはっきりと見える。入り口から20〜30mは、川の右岸を道が走っているが、すぐまた、川に入る。この辺ではサガリバナが目に付く。数分川を歩くと、再び右岸に小さな山道が現れ、約2q続く。足下の石や土には苔が生え、両側の木々には、ハブカズラが巻き付き、シダや雑草が山道を歩きにくいものにしている。約20分でまた川に降りる。(対岸には、アヤンダ川、網取へ至る沢を示す赤い道標がある。)川は浅く、ピョンピョン、石から石へ飛びながら行くのも楽しい。この一帯にはヤマビルが多い。ザックを降ろしで休んでいると、足下で体を細長く伸ばし獲物を狙っているヤマビルを終始見る。"西表島三悪"の一つに数えられるこのヒルは、憎らしいばかりでなく、不気味な存在でもある。
 川を歩くのは十数分で、右岸に目をやると、鹿ノ川湾へ通ずる山道が口を開けており、入には、至る鹿ノ川という道標がある。このウダラ、鹿ノ川分岐点からの山道は、ウダラ川とほぼ直角に走っており、道もかなりはっきりしている。鞍部までは登り坂で少々きつく、あえぎあえぎ登らざるを得ない。左側には、涸沢が走り、そこにうっそうと茂る樹木はきく、原始の匂いを強く漂わせている。ゆっくり行って鞍部まで30分だが、その2〜3分手前には別の尾根に通ずる道があるので要注意。鞍部は休憩地に最適な所で、草木に囲まれ見晴らしは悪いが、鹿ノ川湾の波の音が山の音とは趣の異なった感じで耳に入ってくる。鹿ノ川湾まで約40分、アダンとススキの間をくぐり抜けで行かなければならない。鞍部からぐっと降りると、アダン群落にぶちあたる。道は水の溜ったジメジメした沢の左側を行く。アダンの木にそこを横切っていくかのように布が巻かれているが、そこを通る必要はない。アダン群落を右に見ながらススキの中を数分行くと右側を走っている沢を横切り右岸に出る。そこから鹿ノ川湾までは、ずっと沢の右側を行く。沢のすぐ上方を走っていた道は、5分程で徐々に斜面の中間に登り、ススキをかき分けながら進むようになる。ススキは手や顔に傷をつけ、途中道に横たわるアダンは、前進するのを至極困難なものにしている。鞍部より30分程下った所にある一本松は、道に迷った時のよい目印で、その木右側に道は続いている。二本松を過ぎると、道も歩き易くなり鹿ノ川湾も目の前に開けてくる。草丈の低いこの一帯は、ちょっとした高原で、ここからの眺望はまたみごたえがある。道は下り坂にかかり、ススキとアダンを通り抜けると、走るように鹿ノ川湾の砂浜へ降りる。右側には、疲れた体を休めるに最適な場所、鹿ノ川洞窟がある。収容人員は10数名、水場は洞窟に向って右手にある。降水量の多い年は、洞窟の手前に川が流れる。異様な雰囲気を漂わせているのが鹿ノ川湾の特徴である。

鹿ノ川洞窟→半島一周途中の沢

 いよいよ半島廻りにかかる訳であるが、ここで半島をアタックする注意として、干潮時の2〜3時間前に出発するということを掲げることができる。洞窟から25分岩場を行くと砂浜に出る。10分程でまた岩場になり、以後砂浜らしきものは全く見られない。岩場を20mほど行くと、最初の難所に出合う。干潮時には海岸沿いを行けるが、満潮時には海岸を歩くことは不可能なので、崖を登ってすぐ、また海岸に降りねばならない。崖沿いは一歩踏みはずすと、まっさかさまに海にたたきつけられてしまう所だ。崖を降りるにはザイルでザックを降ろしてから、単身アダンの中を地面を這うように右側に回り込みながら降りる。見ると5〜6m位しかない所なのだが、ザックをかついで降りる事はできない。そこを抜けると30分程で落水滝に着く。落水滝から落水崎を廻り、100m位歩いた所にまた難所がある。干潮時には膝まで海水につかりながら渡ることができる。しかし満潮時には歩いて渡ることは不可能で、干潮になるまで待つしかない。約15分海水の中を行く。たまには波をかぶったり、波に足をとられて全身ずぶ濡れになることがある。岩場に出て30分程歩くと沢をみることができる。ここでサイトするか、さらに15歩いたところに再び沢を見ることができるので、いずれかの沢でサイトした方がよい。沢がわりと大きいので水は必ずある。

半島途中の沢−パイミ崎手前−旧崎山部落跡

 半島一周途中の沢より最初、ウビラ石を目標に歩く。これから先難所はなく、干潮時、満潮時いずれにも関係なく行くことができる。沢から1時間でウビラ石に着くことができる。ウビラ石は大平石と書き非常に大きく平たい岩の事で、タタミが100枚以上もしけると言われている。岩は約30度の傾きで、碁盤の目のような形をした区切りがいくつもある。仲ノ神島がぽっかり海に浮んでいるのがみられる。ウビラ石を後にしてさらに進むと、35分で幸滝を見ることができる。小さな滝ではあるが、重要な水場で、これより先水場がないということを考えれば、無視できないのがこの幸滝である。
 水筒を満タンにして幸滝を出発。約60分でパイミ崎手前に着く。パイミ崎を廻らず、右の旧崎山牧場跡へ急な斜面を登って行く。登ると左の尾根づたいに、右の沢を見ながら砂浜へ降りていく。沢を降りることも可能だが、沢を降りることはやめた方がよい。砂浜に出ると南岸の波が荒れていたのに対して、北海岸の波が穏やかなのに気づくであろう。後は、ほとんど砂浜が続き歩きにくい。40分程歩くと沢があり、沢を少し登ると水場があるが、そこではサイトできないので、ウボ川河口から少し入った所でサイトする。この辺は旧崎山部落跡で、サイト地としては適しているが、ここまで来るのが大変である。マングローブ林の中を、膝のあたりまでめり込む足を引き抜き、引き抜き進まなければならないので、苦しさが数倍になってかえてくる。しかし、海岸線を歩くのはこれで終わりである。これからは山道へのアタックだ。

旧崎山部落からウダラ川へのコース

 旧崎山部落跡を流れているウボ川を、マングローブ林に沿って行くと、廃家の跡と思われる石垣がところどころにある。この辺はもうマングローブ林のはずれになっており、河口から約10分、塩沼地をあえぎあえぎ歩いて来たところにあたる。水も塩分が全くなく、純粋な飲料水となって付近を流れている。石が積まれ高台になったそこは、テントが2張りほど張れ、サイトするのに最適な場所である。ウボ川を登って行くと約20分で、至網取、至アヤンダ、ウダラ川と道標が指示を与える分岐点の鞍部に出る。ウボ川の山道は、河口から上流付近まではツタや雑草のため、かなり荒れ、不明であるが、鞍部に至る手前20mあたりから左岸(上流から下流に向かって左側をいう)に山道がはっきり現われる。
 鞍部から網取へ行くことができる。鞍部から左側へ進路を北に向け、その方向に走っている尾根を行けばよい。道はあるが、少々はっきりしない所がでてくるので、注意をはらって前進してもらいたい。網取湾が目に映るようになると(鞍部から約50分)、進路を北西〜西北西に向けて前進する。左斜面を徐々に巻きながら手前の尾根へ出ると、5分程で伐採跡へでる。そこから左側崎山湾の方へ尾根道を行くと2〜3分で至網取、至崎山廃村、至ウダラ川の分岐点へ出くわす。赤い道標は、網取への道を明確に示している。北〜北西に進路を向け、ぐっと下ると、あとは旧網取部落まで、下り坂の一本道が延々1時間続いている。この道は道幅も広く(幅員2m)はっきりしているので、迷うことはないだろう。

ウボ川鞍部→ウダラ川

 さてまたウボ川上流の鞍部に戻ろう。そこからアヤンダ川を通ってウダラ川へ行くには、道標に従って、ウボ川と反対側に走る沢を下っていく。右岸を10分ほど行くと、ところどころに水たまりのある川に出る。そこをそのまま下り、約5分で今度は左岸に道が続いている。この川はアヤンダ川の枝流にあたり、川と接近したまま下って行くと、水田跡である草原に、鞍部から約25分で出る。以前はここにも人家があったらしく、道の両側には木々が行儀よく立ち並んでいる。そこから約5分、川がそのまま落ちこんで滝になり、川沿いを全く歩いていけない所に出合う。そこで道は川を真中にはさみ、左と右に分かれる。左の道をゆくと、アヤンダ河口付近に道は通じており、干潮時を利用すれば、ウダラ河口まで歩を進めることができる。
 進路を右にとり、アヤンダ川ウダラ川への行程を示すことにしよう。まず右岸の急な坂を登る。その後アヤンダ川までの道は平坦で割合歩き易く、約40分でアヤンダ川に出る。さて次はウダラ川に足を向ける。アヤンダ川に降りた地点から対岸に川を横切り、手前の坂を登る。道らしい道はない一ので、ウダラ川とアヤンダ川の間隔の一番狭いところを、川と直角に方向を定めて進めばよい。沢と沢を結ぶ線上にはかなり荒れた道があり、判別つけにくく途中で切れたりして戸惑うが、沢に沿って行けば自ら道は開け、約30分でアヤンダ川からウダラ川まで行くことができる。出口には至網取、至鹿ノ川という赤い道標が、「ようこそ」と言わんばかりに、木々の間からさし込んでくる光で輝いている。対岸にはウダラ河口へ出る山道が口を開けており、付近の白いペンキが目につくと、「やれやれ」と一息つくことができる。鹿ノ川へ行くには、川を上流へと進めばよい。約5分でウダラ川、鹿ノ川への分岐点に出る。そこから鹿ノ川湾までは1時間半ぐらいだが、時間に余裕のある時は、道標の打たれている付近に適当なサイト地があるので、そこで一泊してもよかろう
 船浮へのコースを選ぶ人はそこで一泊し、干潮時に間に合うようにウダラ川を下ろう。5分で先程アヤンダ川から降りてきた網取入口にさしかかり、右岸に山道が続いているのでそこを下っていく。約40分で河口付近に出ることができるが、満潮時にでもかちあうと、網取湾の砂浜に出ることが不可能で、干潮時まで待機せねばならなくなる。干潮時にはマングローブの仲を容易に通り抜け、右側の砂浜に辿り着くことができる。これまで原生林の中をさ迷い歩いてきた足は、網取湾を一望に見わたせる砂浜に立ち止まる。砂浜に打ち寄せる波に心を奪われながら、半島の海岸線に沿い、西村山道入り口に向かって行く。途中水田の近くに、小さなお休み小屋がある。
 河口から約30分のところで、そこから西村山道入口まで約20分である。入口には道標が打たれているので間違うことはなかろう。西村山道は割合新しくできた道で、雑な伐採跡が約30分続いている。入口より約15分で最初のピークに出る。山道は右と左に分かているが、迷わず左に折れると、2〜3分で松林にぶちあたる。この松林を抜けると水田跡の草地に入り、「さてこれから後の道は」と、一瞬戸惑うが、草地を越え左の斜面を行くと、山道がかなりはっきり現われるのでそのまま前進しよう。牛の糞を踏みながら柵を越えて海岸に出ると、もう船浮は近い。出口から船浮部落までは、ほとんど海岸線に沿って行く。途中二度程小さな山道を通って、船浮部落西側の白い砂浜に出る。砂浜を約10分行くと右手に、林が切れて道が続いている。ここまで西村山道入口から約35分。この道にいったん入ると、まさに緑の楽園への入口をみつけたような感じのよい道がある。船浮まであと5分だ。

船浮→クイラ川→クイラワタリ

 船浮からクイラ川を通りクイラワタリヘ行くには、サバニをチャーターすれば30分ぐらいで行けるが、満潮時でなければならない。歩いて行くには干潮時を利用しなければならず、正味3時間はかかる。ここでは歩いていく場合の説明をしよう。歩く前に是非準備したいものに、ゾーリ又はシューズがある。これからのコースは水に漬ったり湿地帯を歩いたりするので、山靴はあまり用をなさないからだ。最初からシューズで歩くのが良いだろう。船浮には、旧日本軍が使った長さ70mのトンネルがある。ここを通らなくても行けるが、通った方が面白いだろう。そこをぬけて海岸沿いを海水に漬り、足場の悪い岩場を通り、約1時間半で入江に出る。そこを横切るのであるが、干潮時には膝上10cm程で、底は砂地になっていて歩き易い。横切って約30分でクイラ河口に着き、マングローブ林を左に見て上流へ向かう。(このあたりからは満潮時は歩けないので要注意)。
 河口付近は非常に広く、まるで砂漠のような感じさえする。河口からしばらくはこのままの状態なので楽に歩けるが、2〜3分程行くと泥地となり、ゾーリや山靴を履いて歩けるという状態ではではなくなる。ズックが良いという理由がここにある。このマングローブ特有のどろ沼の中を、めり込んだ足を一歩一歩ぬきながら進むと、約30分(河口から約1時間)で川が大きくカーブする地点に着く。そこでやっと泥地をぬける。川が少し深いので左岸の山道を、川に沿って2〜3分行くと川に出る。ここはこの付近唯一のサイト可能地である。(舟はここまでさかのぼることができる。)満潮時にはこの付近まで海水が押し寄せるので、サイトする場合は注意を要する。船浮からここまでは水場はなく、大原へ行くにも水場やサイト地は遠いので、ここでサイトした方がよい。
 サイト地の向かいにはクイラ渡りへの道があり、20分程急な坂道を一気に登るとクイラ渡りの尾根である。尾根には水がないがサイトは充分できる。

船浦湾に生きる住民

 白浜から船で約20分、船浮湾の片隅に船浮き部落がある。クイラ川と周囲の山岳により、他部落間を結ぶ陸の交通は閉ざされ、陸の孤島というさびしい名をもっている。
 船浮への定期船はなく、自家用船(サバニ)が唯一の交通機関である。日用品や食料品、その他諸物資を乗せた幸八丸が白浜に着くと、それを運ぶため、サバニを走らせる。船浮湾とサバニ。これは船浮住民にとって、生活を維持するのに欠くことのできないものである。船浮の住民は船浮湾と共に生きているといっても決して過言ではなかろう。すぐとなりの網取がもうすでに廃村となり、姿を消してしまった。船浮以外の人々は、「次は船浮が廃村になるのでは。」と口ぐせのようにうわさしているという。ところが船浮の住民は決してそうは思っていない。
 「たとえ交通は不便でも、我々は老若問わず自分らの故郷を愛しています。船浮湾と周囲の自然が破壊されない限り、我々は、ここから一歩も動きませんよ。いま、若者は船浮きを出て行きますが、後には、やっぱり自分の故郷船浮湾へ帰って来るでしよう。それに、観光客が来た時、道案内人や宿泊地がなければどうなります。避難に来た人や船の面倒はいったい誰がみますか。」と力強く言ってのけるのである。そう言うだけあって、船浮の海は実にきれいだ。船浮部落の西側の海など特に美しい。少々の風では波ひとつたたず、石を投げ込めば、水の輪がはてしなく広がっていく。村の前に広がる海もキャラウェイ高等弁務官時代に堤防が築かれるまでは、美しい天然のビーチであった。
 また、周辺山に囲まれた船浮湾は、水深が20〜30mで、外離、内離島が風浪をふせぐために、台風時の避難港として、絶好の場所である。避難船の中でも、装備の不充分な船など、錨が海底につかず、風速40ないし50mの台風にでもなれば、陸にのし上がり、身動きのとれなくなる時がよくある。私達がそこを訪れた時もすでに本土の船が一隻、陸に打ち上げられたまま、巨体を苦しそうに、横たえていた。このように水深があり、しかも四方を石の屏風で囲まれている船浮湾は、古くは日本海軍の、水、石炭の補給地として利用され、給水施設と、司令室の跡が今でも残っている。部落の南の方のあるトンネル跡が前者で、それを通り抜けた山手の方にあるコンクリート造りの跡が後者である。
 船浮の全盛期といえば、終戦直後、引き上げ者のあった頃、つまり、昭和21年〜25年頃で、200人近くもの人がいた。それは、ちょうど、炭坑が全盛をきわめていたのと同じ時期である。西表全地域に言えることだが、ここ船浮にも、やはり井上、南谷、西村等の大和名(ヤマトナー)が多い。これは、本土から坑夫が渡ってきて、そこに移り住み、地元の女性を嫁にもらったためである。船浮住民の大方が、稲作、林木切り出し、漁業(ツノマタ等)などで生計をたてている。学校には、校舎が2棟あり、先生7名、生徒36名が、仲良く頑張っている。部落を走る道という道は、すべて整然としており、自然の美を誇りとする心意気が、充分うかがえる。売店は1軒あり、そこには、電話、通信の施設が設置されている。旅館はない。部落の中央には、珍らしい恋愛の碑、かまどまの碑が、周囲の原始的な愛に包まれてたっている。
 自然と共に、力強く生きている船浮の住民は、素朴で、船浮湾と生きていることに誇りを持っている。

かまどまの碑

 世界唯一の恋愛の碑であるかまどまの碑が船浮部落の中央部にある。
これには殿様節の一節が書き込まれ次のように記されている。
  うきゆになどたるこいの
   民神すないのとのさまぱんどやゆる
  カマドマぬことば思いど
  ふなきにいくよば・・・・・
 由緒 碑に記されている文面を引用しよう。カマドマは船浮の生まれで絶世の美人として当時の役人から望まれた女性である。生まれつき美男子で大和の殿様とあだ名された程であった役人との恋物語を歌ったのがこのうたである。高端は明和6年5月4四日生まれで船浮文化元年役人を命ぜられカマドマに心酔したが文化2年正月1日、紙漉所役人になった。これは石垣用典氏が作詞したものである。文化のころであるから今から150年前である。この碑は1957年9月、区長池田稔、公民館長井上文吉等々により建立された。

クイラワタリ

クイラワタリ
 図を参照にクイラ渡りのコースを説明しよう。
 クイラ川を上流へと進んで行くと、マングローブ林の切れた付近で、川は直角状に左へカーブし、塩沼地から川石へと変化する。サバニが上れるのもここまで。右岸には100m程道が続いており、道の切れた地点にはテント2張り設営可能なサイト地がある。満潮時になるとこの付近まで海水が流れ込んでくるので飲み水には要注意。そこから対岸に川を渡ると、営林署の古ぼけた立て札があり、かすかに鹿ノ川、大原へと示されている。指示に従って、道を上って行くと20分程で、至鹿ノ川、至大原の道標のある分岐点(A)に出合う。 左側の道は大原へ続き、右側の道は鹿ノ川湾へ通じる。
 左の大原へ続く道は、尾根伝いから徐々に右斜面へ移る。右側より聞こえてくる波の音は、海岸が間近に控えていることを教えてくれる。斜面を行く道は下りっぱなしで、上りだとかなりきつい。15分程で樹間を抜け、左右ススキに覆われた箇所へ出る。約5分その中を行く。海岸へ降りる手前は、急な下り坂になっていて、滑るように海岸に出る。
〃クイラワタリ、ココカラ営林署〃とペンキの塗られた岩が目につく。大原から鹿ノ川へ行く人は必ずこの離所クイラワタリと、ナサマ道を行かねばならないが、クイラワタリの入り口は、岩に塗られたぺンキが指示を与えているので、そう大きな間違いはしないだろう。先程の分岐点の道標より海岸まで約20分。上りだと30分以上はかかる。
 A分岐点の道標へ戻り、右の鹿ノ川湾へ至る道を進む。旧道は、尾根をまっすぐ進む。旧道は、尾根をまっすぐ進み、草原を横切り、道の案内するまま林の中に入り再び草原に出て、そのまま海岸へ降りて行くコースであったが、これはかなり遠回りで、途中道の切れた所が多く迷い易いので、ここに新コースを説明する。
 まず、A分岐点の道標より、約5〜6分尾根を行くと、道標につきあたる。道は左の沢へと降りる。沢に降りるまでは、道らしき道はなく荒れた樹間を抜って行く。ここでは、木の切り株や木に巻かれた布が頼りである。沢に降りると、切り株と布に注意を払いながらその沢を下る。海岸に近づくにつれて、ススキとアダンが周囲に現われてくる(尾根道より20分)出口の岩肌には、ナサマ道と白いペンキで記されている。そこから右手には鹿ノ川湾が手に取るように見える。ナサマムドルーの伝説の舞台になったのが正にここである。注意しながら歩こう。
 A分子点の道標からこのナサマ道まで約30分。旧道だと約1時間はかかる。
 このコースは、海岸線を行けないため、どうしてもここを通らなければならない。迷わず行けば、約一時間で通過することができるが、迷った時など半日も費やすことがあるので、周囲によく目を配りながら行くようにしよう。
 クイラワタリの岩の指示標より大原まで約6時間。ナサマ道より鹿ノ川湾までは、海岸線の岩の上を約2時間で行く。

ナサマムドルーの伝説

 鹿ノ川部落はすでに廃村となり、今は僅かにその跡かたを残しているにすぎないが、かって部落の全盛時代には、かの恩納ナベが雄大な万座毛の自然を背景に、大恋愛を展開させた如く、鹿ノ川湾、南風岸を舞台にしたエレジーが残っている。今となっては人々から忘れかけられてはいるが、僅かながら語りぐさとして伝えられている。
 西表島でも部落間の恋が芽ばえる事は、まれなことではなかったらしい。それはひと口で言うとたやすい様だが、部落間と言っても野を越え山を越えの小さな路であり、ましてフクロウの鳴声が間こえる静寂の夜ともなれば、到底想像もつかぬ事であり、ここに愛の偉大さを認識するのである。ここ南岸の南風見部落の若者と鹿ノ川部落の乙女の悲恋は、このような背景のもとに生まれた物語である。互いに昼は畑仕事に精を出し、やがて陽が海の彼方に沈むと、それぞれの胸に恋人への慕情をたくし、ある時は闇の中を、ある時は月光の照る中を、そしてある時は星の見守る中を、待ちあいの場へとただひたすらに歩いたのである。
 南岸には、南風岸を背景にした小さな砂浜がある。そこは潮騒の音色が心地よく、星が透き通る程美しい所で、南風岸から月がささやけば波が微かに輝き、砂浜が悦忽としたこの上ないムードを漂わせる。二人の恋を温かく受け入るのにはもっとも応しい場所であり、ここで愛は芽ばえ、大きく育ったのであろう。時には炎の如く激しく燃え、また時には二人の将来を、夢を、夜もすがら語りあったであろう。
 ある冬の、海鳴りも激しく響き渡る晩である。若い二人は燃え上がる慕情を胸に託し、遠い道のりをいつものとおり急ぐ。乙女は鹿ノ川湾の異様な潮騒を耳にはするが、胸の内は、はるかな若者の心へ飛び、うつろな気持でただ歩むのである。やがて湾の東側にさしかかると、黒光りのする断崖が行く手を阻み、波のしぶきが飛び散るのである。それでも乙女は、”この断崖を登り越えれば、冷えきった身体を温かく抱擁してくれる若者が待っているのだ”という夢見心地で、冷たく硬直した両手を使い、定まらぬ足どりで一歩一歩岩にしがみつきながら、身を寄せて登っていったのである。その時、高らかな潮騒と共に白い怒濤が岩を噛み、か弱い乙女を呑み込んだのである。それは、あまりにも一瞬の間のできごとであり、やがて乙女は、荒れ狂う海の中へと姿を消していいったのである。
 事情を知らない若者は、早く逢いたいという一心で歩き続けているうち、とうとう鹿ノ川湾まで ,来てしまい、洞窟で一夜を明かしたのである。そして来る日も来る日も、若者は潮風を浴び、海鳴りを耳にしながら、鹿ノ川湾の砂浜を夜もすがら歩き廻り、愛しの乙女を待ち続けたのである。今の世は、恋人と手を取り、肩をくんで人前を堂々と歩けるのだが、当時、それは不道徳とされ、今で言うデイトすらもできなかったのである。若者は直接乙女の家を尋ねて事情を聞くこともできず、ただ砂浜で待つのが、精一杯の事だったのである。
 ある日の事である。いつものように砂浜に来た若者は浜辺に何か異様な光景を見たのである。若者はやつれ果てた視線を真すぐに向けて、無我夢中に歩み寄り、その瞬間、茫然自失の呈で立ちすくんだ。なんとそれは、自分の最愛の乙女ではないか。愛する若者は、こみ上げてくる悲しみを抑えきれず、あまりにも変わり果てた乙女に抱擁し、叫び狂ったのである。「ナサマー・・・・ナサマー・・・」悲しみの絶頂を訴えるその声は、闇夜を貫き四方の山々ヘと、そして乙女を奪った海の底までもと響き渡るのであった。若者は二度と笑わぬ乙女を抱きかかえたまま浜辺をさ迷い、よろめき歩くのであった。そして我に返った時、あの断崖の上まで来ていたが、その足取りは夢遊病者にも似たものであり、乙女に導かれている様でもあった。この世でもっとも大事な宝を失なった若者にとって、もはや信じ頼れる者はなく、生きるということも到底不可能な事だったのであろう。若者は天にもとどかんばかりの叫び声で「ナサマーのバカヤロー」と言うやいなや、愛する己女を抱きしめて、荒れ狂う海の底深く、永遠の限りに、そして永遠の愛へと、はかなくも消えていったのである。
”愛とは決して後悔しないことである。”乙女の若者への愛が、若者の乙女への愛が、その断崖に立つと今でも、潮騒の中から感じられるのである。この地は”ナサマムドルー”と称され、人々の語りぐさとして伝えられている。我々ワンダラーは、この話を伝説としてのみ片づけるばかりでなく、悲哀の舞台を難所として教訓にし、肝に命ずる必要があろう。
 尚この物語はフィクションであり、伝説によれば、若者は死んでない事になっている。

鹿ノ川湾と鹿ノ川貝

 鹿ノ川湾は、南海岸の単調な海岸線に変化を与えている唯一の湾である。太平洋側に面しているこの湾は、どんな晴れた日でも、なま暖かい風とうねりがひどく、そこを訪れる人に心細さを、去る者に安堵感を与える。鹿ノ川湾の洞窟から、東へ、まばゆい砂浜の海岸沿いに歩いていくと白い怒濤が岩を噛む光景に出くわす。それは手前にそびえる山々が一種の安堵感としての静寂さがあるのと対照的であり、あたりに異様な雰囲気を漂わせて、見る人の心を奥深く捕える。鹿ノ川湾は全域的に波が荒く、潮風を一様に匂わせる男性的なムードを持っている。はるか彼方の一点に視線を絞り、眺めていると、南海のまばゆい太陽の光で、キラキラと輝いた高いうねりが微笑みかけて、岸へ岸へと移動し、やがてそれは自らの身体を持ちきれずしてか、白く笑いかけてはかない花の如く、瞬間にして咲き綻び瞬間にして消えでゆく、そしてその叫びは、自己のもろい一生の最期に応しい様子で高らかに響き渡り、やがては四方の山々に吸い込まれて、淡く消えてゆく。
 そこには雄大な自然のコントラストがあり、果てしない自然の秘められた美がにじみでていて、見る人の美的感覚を直感的に捕え刺激するのであろう。また、この湾には、しばしば大型船が座礁し、ポツンと湾を物悲しげにながめているさまがよくみえる。しかし、そういうのも、やがては海のもくずと化してしまう。
 鹿ノ川湾は、世界的な珍種、鹿ノ川貝が生存している事で有名である。この貝は、フジツガイ科の一種で、紀伊以南の潮間帯下岩礁にすみ、あざやかな色彩をはなち、型はホラ貝を小さくしたようなもので、黄色やだいだい色に黒いスジが帯状に連なり、他の貝がらと入りみだれた中でも、はっきり区別がつき、みつけやすい。ところが鹿ノ川湾には、その貝がらも残り少なくなり、湾一帯すみからすみまでくまなくさがさなければみつけることができない。波うちぎわや大きな岩の下にたまにみかける位である。とかく、珍しいものは数が少ないらしく、それを探し出すのにそうとう骨が折れる。
 鹿ノ川湾には鹿ノ川洞窟が人恋しそうに、大きな口を開けている。さほど奥ゆきはないが、つめれば、12〜3人は入れよう。激しい潮風をさけるには、格好の隠れ家である。避難に来た漁師によく使われているだけあって、洞窟内の岩壁は、ススでまっ黒になっている。ここを訪れる者は、人気の全くない鹿ノ川湾と洞窟の組み合わせに、ロビンソン・クルーソーのストーリーを想像せずにはおれないだろう。