更新日:2006/06/19(月) 22:54

古見から北海岸・テドウのコース

古見部落

 西表島の南東部に、かつての島の中心地であった古見の部落がある。古見は西表島で最も早く開かれた土地で、出土する土器から推して、数千年前から人が住んでいたと考えられ、島全体を故彌と呼んでいたことからも、島の中心地であったことがわかる。古見は西部の祖納と並ぶ程の古い歴史を持ち、繁栄した時代もあったというが、今では過疎化の波をまともに受けて年々人目が減っており、1971年現在21戸、81人で西表でも小さい部落となっている。
 数年前までは、石垣港と古見を結ぶ船があったが現在はなく、大原から北東へ延びる本道を2時間程歩く。パイン畑を両側に見ながら走るこの道は巾も広く、古見から野原、高那まで通じているが、1974年度までには、西部の船浦まで伸びる予定になっている。
 部落は前良川と後良川の2つの川に挟まれている。前良川に架かる橋を三離橋、後良川に架かる橋を大枝橋と言い、造られた当時は八重山最大の橋であった。建造の模様を謡った民謡が、「古見ぬ橋ゆば節」として残っている。
 旧の六月になると、古見名物のアカマタという祭りが行なわれる。これは豊年祭の一種らしいが、関係者以外の人に語ることはタブーとされているため、詳しい内容は知られていない。だが三日間ぶっ続けで飲み明す程、古見では正月にも勝る大きな祭りだということである。
 古見は、マリユドの滝、カンビレーなどの景勝地のある西表のメインルート、”横断コース”の入口になっており、横断する場合には必ず通らなければならない部落である。横断コースヘの入口は、大原から延びる大きな道路を、古見小学校から150m程行った所にある。左手の道へ折れると横断コースヘ続く。前記したように古見は小さな部落で、石油と少しの食科品を売っている売店が1軒あるだけである。
 部落の古峯氏宅には、ゴバンノアシという珍しい植物がある。ゴバンノアシとは、この樹の実が碁盤の足の形に似ているところからきたらしい。ヤシの実に似ているが、もっと四角いドングリ型の大きな実がつき、又、花は1.5mという大きな総壮花序で美しいものらしいが、現在のところまだ若く、その規模に達していない。

西表最高峰、古見岳

 西表の山々は一般に亜熱帯の密林に囲まれており、いまなお原始の姿を秘めている。そこは野生の獣たちの世界である。古見岳もそのような山の一つで、人の気配もなく、踏跡もほとんどない。
古見岳へ
 古見岳へ行くには古見部落から美原部落、高那へと続く道路を行く。部落を出るとすぐに道路を横切って後良川が流れ、左の後良川港岸には、もの凄いマングローブの群落がある。左手を見上げると古見岳の連山が聳えている。そのまま30分行くと相良川にかかる相良橋があり、橋から約100m行くと本道より左に古見岳への分かれ道がある。それに入るとすぐに小さな道(幅員1.5m)に変わる。道は左に相良川を見ながら進む。道に浴って右側に配水道が続いている。まもなく道は相良川に突きあたる。
 川を渡ったところから大きな赤土の道(幅員3m)が続く。この道は、川が蛇行しているために数回川を横切らなければならない。また所々雑草が生え、コースを見失うおそれがあるので要注意。この赤土の道路に出てから30分行ったところで左へ山道が分かれている。この山道を行くのだが、よく注意しないとこの分岐点を行き過ぎてしまう。山道に入らず、大きな道をそのまま行くと、相良川の支流にある古見部落の水源タンクにぶつかり遣は消える。山道は本流に沿って数回ほど川を横切って延び、古見岳への道標(山道への分岐点から1時間15分)があるところから手前の尾根へ続く道へと変わる。道標に従って行くと、すぐに急登し始める。一時間ぐらいぐんぐん高度をかせぐと小さなピークに出る。
古見岳頂上付近
 そこから踏跡は次第にわかりにくくなる。ナタ目と赤テープを見落とさないように注意して歩こう。小さな沢を登ったり、下ったりしながら、小さなピークから30分ぐらい歩いたら水場に着く。水がかすかに流れている程度のものだが喉をうるおすには充分であり、これが最後の水場である。そこからさらに赤テープを頼って行くと、約25分で湿った沢に出る。岩のゴロゴロするその沢を登ると、5メートルほどの岸壁がある。それを越すと、沢が広くなって左右に分かれている。左の沢を登り詰めると、古見山頂のすぐ下に出る。そこには道標があり、そこから竹林の間を通って頂上に出ることができる。古見部落を出てから約5時間である。
 密生した竹の間から飛び出すと、そこは西表島最高峰、469.7メートル太古の原生林に囲まれた古見岳山頂である。途中頂上までの展望は全く利かないから、山頂からのパノラマは何とも言えない。足下に前良川と後良川に挟まれた古見部落があり、深緑のジャングルが、ジュウタンを敷きつめたように広がる。青い海を隔てて竹富島、石垣島等の島々がくっきりと洋上に浮かぶ。
 下山するにはもと来た道を引き返すのが常なのだが、ユツン川を沢下りするのもよい。ユツン川に下るには、山頂直下の道標まで戻り、古見部落から来た沢と反対側の沢を下る。ここは踏跡は全くなく、シダ類が繁茂し、うす暗く無気味である。足元に気をつけて降りよう。
古見岳からユツン川
 水のない沢を1時間ぐらい下りたところでユツン川の本流に出る。そこから川の流れに沿って1時間程行くと、急に視界が開け、海が見える。名もない滝に出たのである。滝は高さ25メートル、三段になっていて、それぞれに広いテラスがついている。テラスは、視界が効くし、水場は近いし、エビも取れるから、ややもすると「一泊ぐらい」という気持になるが、鉄砲水のおそれがあるので、ここでのサイトは控えた方がよい。
 滝から2〜3分戻り、滝を巻いてその下に出る。そこからは巨石がゴロゴロして歩きにくいが、滝から30分下ると平たい岩床に出る。その床下から山道は延びている。そこを30分行くと、再びユツン川に出る。さらに川の右岸を行くとすぐに牧場がある。そこから牧場を通る道が高那、古見部落へと続いている。途中から左に山道があり、海岸まで続いている。そこから右へ古見部落へ行くのもよいし、左の海岸線をインダ崎、船浦へと向かうのもよい。

海の散歩道、由布

 大原より古見を経て3時間歩くと、急な登り坂にさしかかる。その坂を登りきった所で右手に海抜2m、周囲21q、面積0.97平方qの平たい由布島がくっきりと浮かび、旧由布郡落の家々が淋しそうに点在しているのが見える。坂を下ると、すぐ左に真新しいブロック建ての集落があるのに気づく。ここが由布部落より移転して来た人々によって造られた美原部落である。
 大原より続くこの道路は、高那を越えたあたりまで整備されて延びているが、定期バスはなく車も少ないので、足と牛車が交通機関となる。のんびりした道を、あたりの景色を眺めながら歩くのもいいだろう。
 美原部落と由布島の距離は、海を隔てて約200m程で、その間の海上には、幾本もの電柱が立っているという珍しい光景が見られる。ここは干満の差が小さく、満潮時でも歩いて島に渡ることができる。ズボンの裾をまくり上げて、海の散歩と洒落込む。水牛に荷車を引かせてのんびりと由布島へ往来する、由布ならではののどかな光景がみられる。
 由布島の人々はほとんどが農業を営むが、島では農耕するだけの土地がないため、対岸の慶田城原の近くでパインを作り、生計をたてていた。またこの島は水道の施設がなく、飲料水には真水や地下水を利用していたが、地下水には、塩分が多分に含まれている状態であった。僅か14世帯という島であったが、全生徒数11名という小さな小学校もあった。島の人々の教育熱心が窺える。だがこの小学校も集団移動にともなって1971年に西表島で2番目の廃校になってしまった。
 隣りの古見小学校へ全員転校が決まり、毎朝マイクロバスで登校するということになった。将来この学校は、教員のための施設になるとのこと。
 前記した集団移転とは、1969年の11月台風で、全家屋が水浸しになるという被害を受けたため、島の人々は、対岸の古見慶田城原、つまり現在の美原部落へ移動することになった。琉球政府の長期低利融資でもって、平屋セメント瓦ぶきを建てることになったが、1971年春の工事完成予定が大幅に遅れて8月完成し、8月8日に、全14世帯のうち3世帯を残して新しい部落へ移った。
 島の人々が移った美原部落は、標高20mの小高い所を切り開いてできた部落で、「美しくそして目ざましく発展する村」という願いをこめて名付けられた部落である。そこには公民館や売店があり、サイトには適しているが、今の所飲料水を山から引いているとのことで、水には不自由する。
 新たな希望に満ちて再出発した美原部落であるが、1971年の28号台風で、またしても10戸が全半壊という大きな被書を受け、部落の人々を絶望のどん底に突き落とした。だが苦しい中にも部落の人々は力をあわせ、復旧に急いでいる。

北海岸コース案内

 西表で景勝の地といえば、ポピュラーなところではマリユドの滝と仲間川のマングローブ林があげられるが、あまり人に知られていない所では、北海岸がある。というのも高那から船浦に至る道路がないため、人がめったに通らず、自然の美しさがそのまま残っているからである。
北海岸コース
 夏の晴れた日に高那からインダ崎まで踏破するときは是非サングラスを持参する必要がある。頭上からは灼熱の太陽、足下からはその反射熱がようしゃなく体を包み非常に暑い。汗は絶えまなくでるし、無風状態のときには蒸し風呂にでも入っている監事である。夏の北海岸コースはまさに暑さに対する挑戦であり、踏破すると、沖縄本島の暑さなど気にならないものとなる。
 このコースに要する時間は、潮の干満に大きく左右される。すなわち、干潮をうまく利用すれば高那からインダ崎まで3時間しか要しないが、運悪く満潮にでもぶつかると腰のあたりまで海水につかり、前進するのは至極難儀で、5時間もかかる。リーダーは干満の時間を事前に調べて出発時間を決める必要があろう。
 高那は廃村であり、現在は道路工事の人夫以外は住んでいない。1974年には復帰記念事業として一週道路が完成する予定であるが、この工事とは対照的に山麓では放牧された牛がのんびりと草を食んでいる。近くには川が3つほど流れているが、それらの川はすべて牧場の中を通ってきているため汚なくて飲めない。30分も上流に行くときれいな水がある。高那でサイトする場合には飯場小屋の水を利用した方がよい。その水は上流からひいたもので、いささかゴミが混じっているが別に危険はない。
 現在一周道路は高那より歩いて15分ぐらいのところまで完成しており、その道路から海は見えず、歩いているといつのまにか牧場に入って行く。牧草地のなかをまっすぐ進み、10分も行くとブッシュにつきあたる。よく気をつけてみると、ブッシュの中にも道のあることがわかるであろう。その道を行くと鉄条網にぶつかるが、ちゃんと出入口があるので飛び越える必要はない。その道を下ると急に視界が広がり、海岸に出る。ここで海の美しさを満喫することができよう。これからあとは道はなく、海岸に沿って歩くので、足を傷つけやすくゾウリでは危険である。もし満潮ならばパッキングを直した方がよかろう。シュラフや着がえ、カメラ、その他すべて、ビニール袋で包んだ方がよい。高那から海岸に降りるまでおよそ40分ぐらいで、おそくとも1時間である。
 干潮ならば対岸まで一直線に渡れそうであるが、それは危険である。干満の度合いにもよるが、湾の中央部には深みがあるし、クラゲも浮遊している。湾にそって歩いたほうが安全で、しかも疲れも少ない。海水中を進むということは思いの外疲れるものである。湾に沿って15分も歩くと川につきあたる。ユツン川である。(川の手前から牧場をつきぬけて道があり、その道はずっとこの川に沿っていて、西表最高峰古見岳まで続づいている)干潮時ならば問題はないが、満潮ならば胸あたりまで海水につからなければならない。
 ユツン川を渡ると砂浜になり、そこは足跡一つない。征服者になったような気持ちで砂浜を進むと、ゴツゴツした岩場に出る。道はないので自分が歩きやすいところを選びながら進む。
 一時間も海岸に沿って進むと前方に赤離島が見える。赤離島は海岸からほんの5メートルぐちいしか離れておらず、周囲40メートルほどの小島で、以前は陸つづきだったのが海水の侵食作用で現在では切り離されたものになっているらしい。
 赤離島からは前方にはっきりと赤ちゃけたインダ崎をとらえることができる。湾に沿って10分も行くと水場に出る。水場はヨシケダ川と大身謝川の中間ほどにあり、ちょっとした岩場から水があふれ出ており、干ばつでも涸れることがない。ここで水の補給をしたほうがよい。インダ崎とは目と鼻の先であるが、あせらずに歩きたいものである。急いで1時間、ゆっくり自然の風物を味わいながら歩いても1時間30分ほどでインダ崎につく。(インダ崎からは対岸に船浦の小中校が見え、印象的である)
 ここでゆっくり休んだあと目的地船浦に向かうわけであるが。途中ピナイ川河口に繁茂するマングローブ林の中を通りぬけ、ピナイ川に沿っていくと沖縄一の落差をもつピナイサーラやデドウ山のコースヘと行くことができる。
 インダ崎からは干潮ならまっすぐ船浦へと海を横ぎることができるが、これが思うようにかない。船浦がすぐそこに見え早く着こうという気のあせりと、川から運ばれた土砂に足をとられ意外と進行がおくれる。疲れも徐々に増す。しかし、海の上で休むわけにもいかずただ前達あるのみである。インダ崎から1時間半で船浦の桟橋に着く。一周道路建設の計画によると、この湾に橋が架かるらしい。

船浦

 石垣から船で三時間、右手前方に鳩間島をみながら船は船浦湾に入っていく。左手に目をやると西表北西部の景勝地”ピナイサーラ”がひとすじの白煙をあげて流れ落ちているのがみえる。前方に、小さな桟橋や村の学校等のある静かなたたずまいをみせているのが船浦である。
 ここ船浦は、上原地区の交通機関の要であり、前述のピナイサーラやテドウ山へのコースの根拠地である。戸数20戸という小さな開拓部落で、人々はパイン耕作と、一部のツノマタ漁で生計をたてている。パイン産業は最大の収入源で、部落から山手に25q、高菱と呼ばれる広大な土地の開墾が行なわれている。この土地は、水資源の豊富な所であり、かんばつ時には対岸の鳩間島へ水を輸送する程である。1971年の様な大かんばつにみまわれた年でも、学校のスプリンクラーが勢いよくまわっていたのが印象的であった。
 船を降りてすぐ手前の坂を登りきり、しばらく行くと公民館があり、区長さんの家も近くにある。この付近には、ポストや乗船券販売所等があり、中心街といったところ。
 船浦でのサイト地は、桟橋近くのモクマオウ林や、公民館を貸してもらう事も可能だがツノマタの収穫時(8月1日から一ケ月間)には、土地の人が公民館を使用するため、借用をひかえた方が良いだろう。
 さらに歩を進めると、小高くなった所に、船浦小学校がある。校庭から船浦湾を臨む景色は抜群であり、左手から、インダ崎、三本松、ピナイ川、マーレー川の河口とヒルギ林、その向こうにナベをひっくり返した様なテドウ山、そして手前にキジバトの生育する鳩離島と、さざ波ひとつ立たない湖の様な静かな入り江は、それこそ絵にも書けない美しさである。

船浦→ピナイサーラ→テドウ山→マリユドの滝

 石垣から船路三時間で船浦に着く
 船浦の桟橋から左へモクマオウの保安林をくぐり抜け、海岸沿いに歩を進める。まずはピナイサーラ→テドウ山ヘ・干潮時(注・満潮時はかなり苦労する)に足をめり込ませながら砂浜をザッグザッグと歩いていると時折り、頭上を鳩離島に住家を持つキジ鳩が飛んで行くのが見られる。ピナイサーラ(サーラは滝という意味で、ピナイサーラはピナイ滝ともいわれる)は突き出た岬の奥に、なりを潜めていて一向にその美しい姿をみせる気配がない。テドウ山は、船浦部落からも見られ、ナベ底状のドッシリした雄大な山であり、周囲の連山を寄せつけぬ容姿は、まさに西表指折りの誇り高き山といえよう。
ピナイからマリウド
 ピナイ川の河口に近づくにつれ、テドウ山の姿は手前の山に隠れてしまう。ピナイ川には、ピナイサーラの美しさにひかれてか、カモが訪れてくるらしい。河口一帯は、西表特有のヒルギ林に包まれていて、どこが入口なのか素人では見当をつけにくいことと思うが、ヒルギの木に赤いテープの目印があるので注意して捜すことだ。桟橋より入口まで30分ヒルギ林の中には幅員3mのきれいな道があり、満潮時にはサバニが通れるようになっている。そのヒルギ林道を約40〜50分歩けば、パッと水田跡が広がり、その中に掘っ建て小屋が立っている。水田跡の畦道を歩きながら、ふと前方へ目をやると、ピナイ滝がカイコの糸のように純白に細長く輝いて見えてくる。
 ピナイ滝周辺の密生した樹々は、深緑で、ピナイ滝を取り囲む絶壁は、人を寄せつけぬ冷たい威厳を放ち人々をにらみつける。ピナイ滝へは掘っ立て小屋の右側から入って行く。この入口もわかりにくいので要注意。ピナイ川の左岸に原生林道は続く。それ由、一度は水田跡より対岸へ渡らねばならない。掘っ建て小屋より渡り場まで約15分。対岸にはサキシマスオウの大木(板根が特徴)が生息しており、その板根にはノコギリのようなもので切り取られた跡があり、付近には道標も設置されているので一見してわかる。ここは又、ピナイサーラの滝壷への道とテドウ山へ通ずる道との分岐点でもある。右はピナイサーラの上を通りテドウ山に続いており、左は15分で滝壺へと続いている。
 ピナイサーラは西表でも指折りの景勝地で、水量は少ないが、沖縄の滝中最高の高さを持ち、カンピラの滝が男性的ならピナイサーラは、女性的だと形容できよう。風力で揺れ動く細長いピナイサーラは、落下点が定まらず、岩に飛び散るしぶきは花の如く舞う。このような滝下でのサイトもまた格別である。日が暮れると夜空にきらめく星、闇の中で白くほほえみかけるサーラ、飛び交うコウモリ、コノハズクの鳴き声等々はロマンティックにさせ、詩人にもなろうというものだ。
 滝の上に出るには、遠回りしなければならない。先程のサキシマスオウの大木の分岐点を右へ進む。川を下るような格好でピナイ川を右にみながら行くと、5分程で、道は左へ曲がり、山の尾根にとりつくような急な登りに挑戦する。あえぎあえぎ登りつつも途中後方をふり返ると、深緑の樹海、ピナイ川の蛇行、海面にポッカリ浮かぶ鳩離島、鳩間島が一望に見渡せ、しばし、苦しい坂のことも忘れ、自然の美しさに心を奪われるだろう。
 赤いテープを辿りつつ登り坂はまだ続く。登りつめたところで、ちょっと平らな道(幅員3m)にぶつかる。左に折れ、灌木の中を行く。山道ははっきりしはじめ、足も軽やかになってくるが、しばらく行くと急に道が途絶えがちになる。赤いテープを捜しつつ歩いているとまた道が現われる。左側の尾根にとりつくようにいくとしだいに道がはっきりしてくる。山道の左側は絶壁となり、樹々の間から、時折り、船浦の入江が顔をのぞかせる。そろそろ滝の上にさしかかる。ここにも道標があり、道標から左の沢に下るとピナイ滝の真上に立つことができる。前方に広がる大パノラマは、言葉で表現現できないほどの美しさである。カンピラの滝もよし、ピナイサーラはまた一段とよい。ピナイ川のサキシマスオウの分岐点からここまで約40分、ここからテドウ山までは約2時間半の行程である。
 ピナイ滝の真上に出る手前の道標まで戻り、テドウ山へと進路をとる。この間のコースは、テープ、リボン、ナタ目等々を見失わないように行かねばならない。ピナイサーラの道標から10m位の急な坂道をよじ登ると、林班測量のため伐採跡に出る。そのまま、まっすぐ下るのではなく左側の尾根道を行く。迷いやすい筒所なので要注意。左尾根の原生林道はリボンの指示に従って行く。途中分岐点があり右か左かと迷うかもしれないないが、右の道を行くと北の方角へ下り、テドウ山への進行方向とは違う進路である。方角も南へと向いている。左に折れた道は次第に登り急勾配となり、この坂を登りつめれば、テドウ山だと勘違いするが、ここは平坦な周囲が木に囲まれた第一ピークである。
 木に登れば、テドウ山は西南西に見え、ほっと一息。山道の傍に咲きほこるツツジの花が心をいやしてくれる。ここから急に雑な道になる。リボンやナタ目が目印。谷間を30〜40m行くと左手の崖にぶつかり、そこから右側へ登り尾根道に入る。樹々の下、登ったり下ったりの尾根である。時々、ツルアダンが道をふさぎ、通せんぼをする。テドウ山はもう近い。北方を見ると、あいかわらず鳩間島が目に入る。山道は急勾配になり、テドウ山がすぐそこにあることを示す。竹林が道の両側に姿を現わす。テドウ山への最後の登りだ。竹をかきわけかきわけ項上に出る。広場になっていて、中央には四角いセメントの上に十字の印の刻まれた三角点がある。周囲は竹林に囲まれ、直立したままでは視界はきかないが、肩車をすると、四方が見渡せ、思わず、「絶景かな」と叫んでしまう。東には古見岳へ続く尾根の延びているのがみえ、西の方には浦内橋がくっきりと目に写る。
 テドウ山は標高442mで、古見岳に次ぐ、西表中、第二番目に高い山となっている。鳩間島の人々はこの山のことを、テットウ山と呼んでいる。鳩間島や船浦から見るとナベ底を逆にした形である。昔、鳩間島の人々は、家の屋根に使う竹をこの山まで取りにきたらしい。それ程竹の密生した山である。項上は、沖縄本島の与那覇岳に似ている。
 さて、テドウ山に別れを告げ、カンピラヘ向かおう。項上の道標が、カンピラヘの入口を指示しており、項上の西側、竹林の中へ道は続いている。左右に立ち並ぶ竹林を過ぎると急な坂を下る。しばらく行くとゆるやかな登りの尾根道に入る。西の方に登り道は続き、登りつめると、左の道を下って行く。やや南側に前進。樹々は深くなり、ときたま、ツルアダンが前進する足を止める。山道が今までよりはっきりしてくる。途中、崩れてむき出しになった赤茶色の土が目につく。そこから下に目をやっても、まだ浦内川は見えない。上方を見ると、波照間森の方へ続く尾根が浮かびあがってみえる。そこをすぎれば、ずっと密生した樹々の間の山道を通り、やっと横断道路に出る。右に流れる金鹿川のせせらぎがやさしくささやいてくれる。「ご苦労さん」と。
 この分岐点には道標が設置されており、右に約150m行けばマリユドの滝へ、左に約200m行けばカンビレーの滝へと通ずる。
 テドウ山からこの横断道路の分岐点まで、約45分。船浦からカンビレーの滝までは約一日のコースで、変化に富んだ良いコースである。