更新日:2006/07/12(水) 22:09

2003年7月 西表島

 2003年7月、石垣島での研修が終わり、沖縄行きの飛行機の時間まで半日ほどの時間が自由になったため、西表に渡ることにした。
 石垣から西表島までは平田観光(八重山観光フェリー)の「サザンクロス」「ひるぎ」などと安栄観光の「安栄号」などの高速船が、大原(40分)だけでも1日14往復運行している。1970年代に就航していたホバークラフトは、私も興味本位で一度だけ乗ったことがあるが、その後すぐに廃止になったようだ。音が大きいと言うことと風に弱いことが原因と聞いているが、詳しいことは調べてない。
 朝8時30分の安栄丸に乗り9持すぎに到着したのは大原の港。1972年頃までは大原の北東側にあった港は、ホバークラフトの就航持には南東側に移動し、今では「仲間港」として埋立・整備も進んで、大きな待合所もできている。
 西表での足は、短い時間にいろんな所を回りたいという気持ちから、ミニバイクを選んだ。私の30年前の記憶が正しければ、当時の「あずま旅館」かその隣あたり、今の「もともり工房」がレンタバイクもやっているので、そこからバイクを借りて、情報も仕入れて、白浜まで行くことにした。実は、「南海の秘境 西表島」のヤマネコの写真は、帰り際にそこのマスターからいただいたものである。
仲間川河口
 ミニバイクに乗り、先を急ごうと仲間橋を渡ると、仲間川と大富の集落が目に飛び込む。夏の太陽の下、西表島の山々だけにかかる雨雲を気にしながら、しばし立ち止まる。

ヤマネコ注意の看板
 1972年5月15日に国立公園に指定され、「西表国立公園」の一部となった西表島の道路には、「注意!ヤマネコ横断多発中」の看板がやけに目立つ。
写真は大富から古見までの道路にあったもの。アスファルト道路が大原から船浦まで完成し、南風見田浜から白浜まで車で行けるようになり、イリオモテヤマネコの交通事故が多発したことから立てられた看板であろう。
 古見から美原に向かう後良川沿いに、野生生物保護センターがあり、工房のマスターの薦めで訪れてみた。建物の一部が展示室になっており、イリオモテヤマネコの保護活動、生態研究等をおこなっている。
 1972年には大原からの道路の最終地点であった高那には、西表島交通グループが経営するネイチャーホテル「パイヌヤマリゾート」がある。西表島温泉がそれであるが、グループの中に大原の「有限会社玉盛商会」の名もある。南海の秘境に出てくる「玉盛運輸」と同一であるかは確認していない。
 西表島温泉の前にさしかかるとき突然雨が降ってきた。雨合羽などを準備していなかったので、20分ほどバス停で雨宿りを余儀なくされた。西表の雨はこんなに急に降ってくるものだったかは記憶にないが、白浜からの帰り道でも北海岸だけが雨であった。
 雨もやんだところで、先を急ぐ。「南海の秘境」では、高那から海岸沿いを波にもまれて5時間の行程でやっと着いた船浦は、一周道路が完成した今では、ミニバイクに乗って20分程度でカバーできる。
 海中道路になっている船浦大橋を渡る前にバイクを止め、ピナイの方面を見てみた。ピナイがあるはずの山々には重く雲が覆い被さっている。手前には自然体験用と思われるカヌーが浮かび、西表観光の変化が伺える。
船浦大橋からピナイ方面船浦大橋

 ふたたび白浜に向かうため前方を見ると、海中道路がまっすぐに船浦に向かって延びている。船浦の向こう側に上原の山の上にある電波塔がぼんやりと見える。
 ミニバイクをとばして、船浦の部落、上原、中野、浦内を過ぎ浦内橋まで来たところで、午後になってしまった。大原を出て2時間半が過ぎた。
 浦内橋の手前に大きな食堂ができている。食堂といっても100人ほど入れるような大きなもので、沖縄そばで腹ごしらえをすましている間にも、2〜30名ほどの団体が出入りしていた。西表島を訪れる観光客が増えていることを実感する。
浦内川渡し船
 浦内川観光の渡し船は盛況のようである。目の前のメヒルギの木は30年経っても大きさが変わっていないような気がするが、現在の渡し船は屋根の付いたもので、10名以上余裕で送迎できる。船底は浅い川でも安全に運航できる専用のものである。
 今回は時間が無く行けなかったが、軍艦岩からはちょうど比地の大滝までのように遊歩道が整備されており、観光客が気軽にマリウドやカンピレーまで行けるようになっている。
 しばらく渡し船のアルバイトの青年と話をして白浜に向かった。「南海の秘境」に出てくる「中央縦貫道路」計画は1975年には中止になっており、白浜港は訪れる人も少ないのだろうか、30年前にサバニを待ちながら釣りをしていた港は、今も静かである。
星砂の浜
 白浜から戻るとき、住吉の「星砂の浜」に立ち寄る。
 浦内から中野あたりで「開発反対」の看板がリゾート開発訴訟(2006年3月28日に那覇地裁では原告の請求を全面的に棄却する判決)があるという事実を語っており、開発か自然保護か、戦いは今も続いている。
 観光客が数名海岸を散歩している星砂の浜はあいにくの満ち潮だが、星砂は今でもすぐ見つかるほど豊富である。真昼の海はすっきりしない天気だが暑く、サングラスの中で汗がほほをつたって落ちていく。
 星砂の浜にをあとに、上原、船浦を通って船浦大橋にさしかかったが、ピナイは重い雲の中で姿を見せない。テドウ山あたりだろうか、ゴロゴロと雷の音が聞こえる。小雨はユツン川から西表島温泉を過ぎるあたりまで降っている。
古見岳
 美原から古見に向かっている時、古見岳あたりからまた雷の音がする。振り向いてみると明るい雲の間から、時々フラッシュのような稲妻が光る。テドウ山、古見岳、御座岳に降った雨は、カンピレーの滝をすべり、マリウドの滝にダイビングし、今頃は軍艦岩の渡り石を飲み込んで危険地帯を作っているのか。それとも今は渡り石を渡っていく先に道もなく、渡り石も苔だらけなのだろうか。

 大原に帰り着いてみると、雨に追われたおかげで船の出航に1時間も余裕がある。ここはやはり南岸、「南風岸」までバイクを飛ばすことにした。
 記憶では、暗くなったホコリだらけの道をコノハズクの声に心細くなりながら1時間ほど歩いて着いた南風見田の浜は、ほんの15分の距離になっていた。浜の入口は記憶と変わらぬ様相だが、アダンの林を抜けてみると、そこには赤瓦の休憩所が立っており、名護の海岸かと思ってしまった。
南風岸南風見田浜の休憩所

 ちょっと違和感のある南岸を別れ浜に向かって歩いていくと・・・”ヤマネコの足跡か”無数の動物の足跡が・・・、と山の方角を凝視すると、(写真の山側に見える)手作りのテントというか、簡易住宅が数点見え、しばらく歩いているとそこの住人らしい者とその愛犬がとぼとぼと歩いてくる。あいさつをしても、顔を向けるでもなく過ぎ去ってしまった。人間が多すぎて、他人を見ても無関心なのだろうか、都会で人とすれ違ったような違和感をいだいてしまった。
 帰りの「安栄丸」で、「西表に住んでいるわけでもなく、西表の自然を守っているわけでもない私が、西表島は変わって欲しくないと思うのは身勝手なのだろう。」という思いで西表の山々を望んでおりました。
 ばたばたとした西表の島めぐりを終えて、写真もパソコンに忘れてしまっておりましたが、復刻「南海の秘境」を打ち込んでいる間に、その時の様子を思い出しました。最初は写真だけ掲載しようかと思い、説明文を書いていたのですがいっそ・・・ということでこうなりました。 南風岸の写真はこれしかありませんでした。・・失礼・・・ やはり旅はのんびりと無駄のあるものがいいかなと思います。今度はしっかりと時間を作って西南地域にでも行ってみたいと思っています。