更新日:2006/06/20(火) 20:52

西表島の概観

概略

 南海の孤島、ヤマネコの島、原始の島、最後の自然・・・・。これまでいろいろの形容詞をもって表現された島、「西表」。沖縄の中心都市那覇からおよそ500キロメートル、北緯123度50分、東経24度30分に位置し、台湾中部やハワイ諸島と同緯度の典型的な亜熱帯性気候である。
 島の大部分が山からなり、その気候は西表の山々をジャングルにしたてあげ、「南海のアマゾン」をして呼ばしたマングローブの群落をつくりあげている。
 工業の発達にともない公害の多い我が日本の中で、秘蔵の地として注目を集め、自然保護の叫ばれているこの頃である。自然公園指定地域になるのも間近いことであろう。
 古い歴史をもつ西表には、伝説、民謡があり、人々の心のふるさととなっている。だが奥深いジャングル、険しい山々は、東部と西部を隔て、陸の孤島を生み、住民の交流は閉ざされた。
 戦前、そして戦後の一時期を通じて西表を襲ったマラリヤの猛威は、沢山の廃村を生み、開拓の歴史に足ぶみを余儀なくさせた。
 農業を主体とする住民の生活は、干ばつ、台風等、自然現象に大きく左右され、また貧弱な交通通信網、教育施設、医療施設の不備は、長年住み慣れた故郷を離れる大きな原因のようである。過疎化の激しい離島の中で、もっとも激しい過疎の波に洗われている島のひとつだといえる。東西30キロメートル、南北20キロメートル、面積2万7千ヘクタール、沖縄本島に次ぐ大きな島でありながら人口わずか2千6百人という実情が、これを物語っていよう。
マングローブ仲村広司提供 島の東西の線に沿って起伏する古見岳、八重岳、テドウ岳、御座岳、波照間森、南風岸の山々は東部と西部を隔て、両者を結ぶ交通通信網は、石垣島を中継地点とするのが現状である。
 これらの山岳地帯から始まる浦内川、仲間川、仲良川、越良川は大河となって海にそそぎ、その塩沼地帯には広大なマングローブの林が展開し、訪れる人々の目を楽しませてくれる。山を覆う原生林の中にはイリオモテヤマネコ、カンムリワシ、リユウキユウイノシシをはじめ珍種な動物が生息し、マングローブ、ヒメツルアダン、ヤエヤマハブカズラ等の植物が、人目をひく。
 世界的にもそのままの自然が残る数少ない地域として、自然保護の叫ばれているおり、大富と白浜を結ぶ中央縦貫道路の建設は着々と進み、保護を主張する人々の批難を浴びる一面もみられる。復帰記念事業として、ホーバークラフトの就航が1972年に予定され、自然保護か地域開発かで自然公園指定の問題が待ち上がるなど、今や西表は「注目の島」である。良かれ悪しかれ何らかの形で西表が変化しつつある今日、我々は西表にとって、西表の人々にとって、「何が良く、何が幸せであるか」を考えなければいけないであろう。

歴史

 虐げられた島。八重山群島におしなべて言えることであるが、過去の歴史を振り返るとそう叫ばずにはおれない。人頭税に泣かされ、マラリヤに苦しめられ、毎年訪れる台風に襲われた昔の人々の生活には、想像をはるかにこえるものがあったであろう。
 1637年(寛永14年)から1903年(明治36年)までの260余年に亘って、八重山の人々は人頭税によって徹底的に搾取された。西表島もその一つである。このような悪政によって痛めつけられた島の人々の悲痛な叫びは、数多くの民謡となって残っている。哀愁のメロディを多分に含んだ民謡からは、当時の生活がいかにひどいものであったかが窺える。文献を引用してみると、「八重山は酷使暗黒の時代と化し、琉球政庁は農民を納税機械として扱った。この悪税制度になすすべを失った農民は、堕胎、えい児圧殺、自殺、脱村、山賊など悲惨非道の窮地に追いこまれた。」とある。
 悪税制度にマラリアが徹底的な追い討ちをかけて、南風見、仲間、鹿ノ川、崎山などの部落が廃村になったが、古見、祖納、船浮、星立などの部落は古い歴史と共に、現在まで続いている。このような古い歴史を持つ部落には、歴史的な行事、言い伝えなど、我々の興味を惹くものが多い。現在、この4部落を除けば、その他の部落は割合新しい部落である。東部の大富、大原、豊原などはいずれも開拓移民部落として、戦後創設されたものである。又、上原地区の5部落も、昔の上原村の跡に、戦後、開拓移民部落としてできたものであるが、白浜部落はそれより以前の炭鉱ブームにのってできた部落である。
 近年、いろいろな意味から注目を集めている西表であるが、過疎化の波はそれを尻目にジリジリと押し寄せ、1971年7月には、西南部の網取部落が廃村となった。又東部の由布部落が、自然の襲撃に耐えかねて、対岸の慶田城原に美原部落を創設したのも、ほぼ同時期の出来ごとである。
 西表の歴史を語るには炭鉱のことを語らねばならず、又マラリアのまん延もそれに匹敵する出来事であろうが、マラリアについては「西表を食ったマラリア」を参照してもらいたい。ここでは炭鉱の盛衰を簡単に紹介しよう。
 西表の石炭については、古い文献によると「燃える石」の異名で知られていた。当時は単に珍しい石として考えられていたようであるが、ふとしたことからこの燃える石が、他府県に知られたといわれる。西表の炭鉱の盛衰は1885年から1945年までであったと言われるが、その繁栄の時期には3千人もの抗夫がいたらしい。抗夫は本土や沖縄本島あたりから出稼ぎの形で来る者が多かったようだが、そのままそこに住みついた者も多かったという。白浜にヤマトナー(大和名)が多いというのもその名ごりであろう。だが、炭坑での生活は苦しかったらしく、ケツワリ(炭抗逃亡)した者も多かったらしい。
 前記のように、いつでも外から虐げられて来た西表も、戦後のマラリア絶滅の時から、その様相は一転し、島の人々自身の手による新しい歴史がつづられていたのである。

産業

 第一次産業、これが島の人々の生活を支える最も大きな収入源である。サトウキビ、パイン、水稲を主産物とする農業がその柱であるが、山が島の大部分を占め島のまわりは良い漁場に恵まれているため、西部の白浜地区などでは林業が、北西部一帯では寒天の原料となるツノマタの採取が行なわれる。又南海岸では、畑仕事の合間を縫って漁をする島の人々の姿が見られる。これらの獲物は近くの大原、豊原、大富などで売りさばかれる。
 大富、中野にパイン工場、大原、船浦に製糖工場ができて以来、島の人々はパインやキビの収穫に精を出し、山野の開墾に汗水を流してきたが、夏になると台風は農作物を襲い、人々から僅かの希望を奪い去る。人間の力ではどうにもならない自然の気まぐれが、船浦の製糖工場の運営を中止に至らし、1971年夏の大干ばつの如きはいたずらに、耐えて来た人々にも暗い影を落とした。島の人々が確実な定期収入に憧れるのも無理はない島で定期的収入のあるのは、教師、営林署の職員、警官などでその数も少ない。子供の教育のためにと島を離れる人々も多い。農業からの収入は長期的であるので、現在行なわれている道路工事などの人夫として得る収入が日々の生活の支えになっている。
 現在、西表東部ではパインが主であり、サトウキビがそれに次いでいる。高那あたりでは牧場があり、島外からの資本で牧畜が行なわれている。西部地域では、製糖工場が閉鎖されてからはパインが主に生産され、祖納、星立あたりは、浦内川の水を利用した稲作一本の農業を行なっている。又外からの資本で仲良川一帯の伐採が行なわれており、白浜の人々は、この伐採人夫としての収入が、生活費の大部分を占めると言われる。前記したように、ツノマタからの収入も多く、この時期になると、伐採人夫がこぞって海の男となる。東部の高那と同じく西部地域でも、内離、外離島、船浮一帯などで放牧が行なわれ、収入源のひとつとなっている。
 いずれにしろ第一次産業を柱とする西表の人々の生活は苦しい。自然の襲撃に耐えられる潅漑等々の設備が整うのはいつのことか。

気候

 1954年1月25日、西表島における観測業務が開始され、現在は、西部の祖納と東部の大原の2ケ所で観測が続けられている。
 観測継続年数の10数年間の気温、降水量をもとにすると、年平均気温約23℃、年平均降水量約190ミリとなる。
 このように気候的に見ると中亜熱帯性気候に属し、年平均降水量も多い。このことは西表島のいたる所でマングローブやその他の重熱帯性原生林がみられる主因でもある。
 黒潮にのって吹いてくる柔らかい南風により、亜熱帯海洋性気候を示し、住みよい島であるが、夏期が長く直射日光が強いことや、温度がやや高めなのが苦になる。
 I図を参照してもわかるように冬季でも気温はそれ程低くないが、ごく稀にシベリヤ大陸の高気圧の張り出しの影響をうけて、火鉢を恋しがるほどの気温まで下がる事がある。3月になれば暖風が吹き、次第に春らしくなってくる。5〜6月は梅雨期、8〜9月は台風期、11〜1月は北西季節風期と、それぞれ降雨が集中する傾向にある。
 集中豪雨は、今しがたまで渡れた川をも、瞬間にして渡れなくする。もし無茶な渡岸を試みようものなら、自らを死に至らしめるような悲惨な結果を招く事にもなりかねないので、渡岸の際は十分注意を要するものである。
 西表島においても台風の影響は大きい。U図に示されているように、台風は7〜9月に集中的に到来するが、11月頃になっても、時期遅れの台風が到来し、農作物や家畜等に被害を与え、ひいては住民の生活にも大きな打撃を与える事がある。

山々

 西表の山々は、本土の山々に比べて、標高、山容等々の面で大きな違いがある。だが最近、西表島は「国立公園指定地」として大きく脚光を浴びていることは事実だ。北アルプスや南アルプスとは異なった意味で、人々の山恋うる心を駆りたてずにはおかない。原始の匂いをまだ強く残している西表の山々には、亜熱帯植物の木々が覆いかぶさり、人間の立ち入る隙さえもないかのようだ。正規なルートでさえ台風の過ぎ去った後などは大木が倒れ、雑草が道をふさぎ、道は崩れ、判別のつかない状態になる。一歩正規なルートを離れるとツル植物が体に巻きつき、鋭くとがったアダンのトゲは、むき出しになった肌を刺し、ゴザダケササやツルアダン、絶壁が行く手をさえぎる。多雨多湿の西表島の植物は成長が早く、巨木が所狭しと立ち並び、枝は無数に手をひろげ、木洩れ陽の射し込む隙も与えない。陽の当たらない山中は真昼でも薄暗く、ヒルのうようよする山道はジメジメしていて、その不気味な雰囲気は西表ならではの魅力であり、旅人の心をくすぐる神秘な要素を充分に秘めている。
 西表島の山々は、大きく分けて四つの山岳群に区分できる。
 第1の区分は、西表島の景高峰古見岳(469.7メートル)と、テドウ山(441.5メートル)を結んだ線上に立ち並ぶ山岳群であるが、この辺には山道がないため、人の出入りを許さず、わずかにコケのはりついている岩石のゴロゴロした沢と、イノシシ等のけものが、そのあたり尾根へ通ずる手助けをする位である。古見岳やテドウ山の項上付近には、ゴザダケササや潅木が、南国の強い太陽エネルギーを真向から受け、台風にもビクともしないような強靭な根をおろし、密生している。山道の無い事と山が荒々しい事で、この地域の山に入る者の数は極めて少ない。
 第2の区分は、御座岳(425メートル)、波照間森(447メートル)、ウーシーク森(354メートル)、祖納岳(280メートル)を結ぶ線で、尾根が一直線に連なっているのがその特徴である。既にこの尾根伝いには大富〜白浜間の中央縦貫道路建設が着工されておりその完成をみるのもそう遠いことではない。古見からカンピラを通り星立にぬけるコースとほぼ平行に走るこの山岳群は、西表の二大河川、浦内川と仲間川にはさまれ、平均標高も高く島の中央を走り、まさに西表島の中央アルプスといったところである。ゴザダケササの群生する御座岳は、短時間で登れるということで人気があり、項上からの眺めは格別で、亜熱帯植物のすばらしい景観を満喫することができる。波照間森も又360度の視界がきき、そこからの眺望は西表の旅に興趣を加え、海の青と山の緑の綾なす景色は、しばし南海の秘境にいる自己の存在を忘れさせ、神秘な夢の世界へいざなう。
 第3の区分は、南風岸(425メートル)を中心にした南海岸線と平行に走る山岳群である。仲間川と仲良川の南の位置する山々は荒れ放題で、急傾斜のまま南海岸線に迫っている。この山岳群中では、やはり一番南風岸等が目につく。風格からしてこの山が南岸の王者と言えよう。この山へ登るには困難を伴なうものがある。高い屏風状の絶壁が行く手をさえぎり、道がないので、どこをどう通って行けばよいのか皆目見当がつかない。
 第4の区分はクイラ川以西の山岳群である。200〜300メートル級の山が分散し、山の名称もなく、今まで述べてきた山々とは趣きを異にする。海に面した斜面にはアダンやススキが繁茂し、旧崎山牧場跡や旧鹿ノ川部落跡の山は、ススキが風に揺れ草原状の景観をなしている。旧山道もわずかにその跡を残しているに過ぎずかなり荒れており、一旦道に迷えば、傷だらけになりながらも前進せざるを得ない破目になる。この地域は交通が不便なため訪れる人も少なく、まして住む人とていない。
 以上のようにツタやツルアダンの密生する西表の山々は、やはり秘境と呼ぶにふさわしいところで、数多くの野生の動物や珍種の植物が原始のままで残されており、そこには、いまなお謎を秘めた天地が存在しているのである。

動物

イリオモテヤマネコ
 自然の宝庫「西表島」その島の大部分は、古見岳を最高峰に、幾多の山岳が連なり、亜熱帯植物の覆いかぶさったジャングルである。それらの山々からは浦内川、仲間川など海に向かって幅の広い、水量豊富な川が幾つものびている。海に面する河口付近には、必ずや広大な塩沼地を独占して自生しているマングローブが目につく。こうした開発の手の届かない西表島をおおう雄大な原生林の中には、イリオモテヤマネコを筆頭に、鳥類、カメ類、カニ類・・・と特殊な動物をはじめ、実に多種多様な動物達が自由奔放にその生活を営んでいる。真に、西表島は動物達にとって最高の生息地であり最高の楽園であろう。
 西表島の特殊な動物を幾つか紹介しよう。第1は、西表島=イリオモテヤマネコの島といわれるほど注目を浴びているイリオモテヤマネコである。崎山から島の東西地区にかけて比較的多くみられ、全般的体型はネコ亜科一般に通ずる形だが、頭胴長は長く尾は短い世界的な珍種で、ネコ類中最も原始的であることなどから、1969年、天然記念物に指定された。山中では、トラネコの野生化したものもいて、イリオモテヤマネコと間違えることがよくあるそうである。
 船浦のピナイ滝付近では、カンムリワシが比較的多くみられる。頭上の羽毛は長く伸びて美しい毛冠となっている(これがカンムリワシという名称の所以である。)西表島にはハト類も多く、リュウキュウキジバト、リュウキュウキンバト、ヨナグニカラスバト、チョウダイズ、アカアオバトなどがいる。
 祖納部落の南側の入り江の岩礁の小島、丸島盆山はサギの寝ぐらである。晩秋になるとチョウダイサギ、チョウサギ、コサギアマサギ、アオサギ、コイサギなどが渡来する。日暮れには餌場からシラサギが帰ってくる。ここは又、クロサギの繁殖場でもある。鳥類には他にセグロアジサシ、オオミズナギドリがいる。又オサハシブトガラスというカラスもいるが有害鳥に指定され、捕殺、農薬殺され減少しつつある。
 森林中に潜むコウモリは暗いところだと昼夜の区別なく姿を見せる。ヤエヤマオオコウモリは八重山群島に産する唯一のオオコウモリで、首に淡黄色、又は白色のえりがあり他のオオコウモリと区別される。西表には又小型コウモリとしてヤエヤマユビナガコウモリ、ヤエヤマコキクガシラコウモリ、イシガキカグラコウモリがいる。
 山中の低湿地帯や河川の流域、沼沢の周辺では、セマルハコガメ(方言名ヤマルコーザー)がよくみられる。腹部の甲羅にちょうつがいを備えた不思議なカメで、甲の長さは16〜18センチの完全な陸ガメである。湿地帯が寝ぐらだが、水中に入れると溺れてしまうというからおもしろい。水中ガメには、ミナミイシガメがある。他に、スッポンもいるが、これは、20数年前台湾から導入され、西表島に住みついたもので、中には甲にコブを付けたものもある。山中には又、リュウキュウイノシシやサキシマハブ、キノボリトカゲ、キシノウエトカゲなども生息している。
 マングローブの繁茂する河川付近は、カニ達の生活の場である。浦内川(浦内から川の河口約2キロの舟着場まで)では、干潮時になると、干潟一面に、無数の小ガニが群がっている。甲幅は10ミリ内外で、足は長いが歩行が大変まずいミナミコメッキガニ(別名アシビロガニ)の群なのである。浦内川流域、船浦の水田地には、オキナワアナジヤコという体長約30ミリ、甲はかたく、一見エビとヤドカリのあいの子のようなカニがいる。夜半しか活動しないのでその姿はめったにみられないが、マングローブや、それに隣接した荒廃田を歩くと、道路上に円すい状の塚がある。これが、オキナワアナジャコが作り上げたもので、塚の下の穴の奥深くにカニ達は潜んでいる。古見を中心とした河口、入江のマングローブの干潟で、浮石をおこすとヤグジャーマガニがいる。甲長約38ミリ、甲幅57ミリのこのカニは、西表島がその北限である。他に、カニ類にはリュウキユウシオマネキ、シモフリシオマネキ、ヒメシオマネキが生息している。
 以上、紹介した幾つかの動物は、西表島の極めて特殊な動物たちで、この他にも、多くの動物が生息していると思われる。現に、生物学的にみて、世界でも数少ない残された原始の島としての注目を浴びており、この島を訪れる学者や調査団も少なくない。動物達は西表を訪れる一般の旅行者やキャンパーの心をなごませ驚嘆の声をあげさせる。
 我々は西表島が、これら多くの動物の生活をおびやかすものにならぬよう見守らなければいけないだろう。

植物

 西表島の代表植物であるマングローブは、次項に述べるとして、ここでは、生態的なものをみていくことにしよう。
 河口のマングローブの背後には、オキナワジンコウ、ヒルギカズラが混生し、次第に山側の斜面に広がりアダン、サガリバナ、ハスノハギリ、ガジュマル、サキシマスオウノキ、ウラジロアカメガシワ等の森林に移行する。リユウキュウマツ、オキナワウラジロガシ、イヌビワなど川岸を離れるに従って多くなり、ツルアダン、ハブカズラ等のつる植物が、樹幹にまつわりついているのが見られる。土着生の植物も多く、オオタニワタリ、シシランなどが見事な生育ぶりをみせている。又、森林下層には、大型のシダ類が目につく。
 標高400mあたりからは、森林は一変し、古見岳、テドウ山、御座岳一帯は、いままでの樹種に変って、ゴザダケササがぼとんどを占めるようになる。ゴザダケササは、2〜2.5mくらいの高さでやや橙色がかった茎をもつ。しかし、波照間森一帯は、いままでと同じく亜熱帯性多雨林で占めていて、ゴザダケササはない。ササの代わりに、ツルアダンが異常な発生を見せ、波照間森の頂上付近は必ずといえるほど、ツルアダンがあり、ツルアダンの中に広葉樹林がまつわりつくといったような具合である。
 西南地域の網取山、旧崎山一帯は、ススキなどの草山で、リユウキユウマツが点在し、ソテツもあちらこちらに見える。以前は、リユウキユウマツの大木があったが、伐採したり、台風で折れてしまったらしい。また、草刈場として火入れもするとのことだから、この草原は、人為的なものでもある。

マングローブ

マングローブ分布図
 西表島のマングローブにはその分布の状態など世界でも有数のものとして注自を浴びている。
 仲間川を筆頭に、浦内川、仲良川、後良川等々西表島の川はその河口地帯の塩沼地を深緑のマングローブが横たわっている。
 西表島で見られるマングローブの樹種はオヒルギ(アカバナヒルギ)、ヤエヤマヒルギ(オオバヒルギ)、マヤプシキ、メヒルギ、ヒルギダマシ、ヒルギモドキの6属6種である。これらは決して雑然とはえているのではなく海から陸に向かってマヤプシキ、ヤエヤマヒルギ、メヒルギ、オヒルギそれに陸上植物のアダン、サガリバナと続き、又下流から上流へもこのような一定の配列を守って整然と生え、他の植物が途中に入り込む事はない。
 マングローブは種類によって次のような特性を持っている。
マヤプシキ まばらに生える性質を持つ。胎生種子でない(他の5種は胎生種子)。果実は柿の実に似た形。直立根を地上に出している。
ヤエヤマヒルギ 幹のかなり高い位置から孤を描いて射出する支柱気根と枝から真直ぐ下に伸びいている。県垂気根を持っている下垂する胎生種子である。
メヒルギ 板根状の根で満潮時には幹まで水没し、わずか葉の部分だけが水面上に浮かび水面ぎりぎりの所で枝をそう生する。
ヒルギダマシ ヒルギ科には属さない。葉裏は白く毛が生えている。サクランボに似た形の実をつける。
ヒルギモドキ メヒルギに似ているが、メヒルギの対生に対して、これは互生である。
 西表島のマングローブの代表は仲間川のマングローブである。
 仲間川の河口は両岸が深淵になって少ないが、約500〜600m入ったあたりより上流には多く5q以上も対岸に沿ってびっしりと密生している。他の川と比べ川が浅くなっており海岸段丘をゆったりと蛇行しながら流れるため、泥が十分沈積し最も発達によい環境条件を備えている。蛇行の屈曲部の内側は外側より発達しているのもこれが原因している。仲間川のマングローブの最も大きな特徴は、後良河口でわずかにみられるほかはどの河口でも見ることのできないマヤプシキが豊富であるという事である。その分布の広大な事、美しい事は、数多い西表島のマングローブ群中でも抜群だといわれ、クリ舟の客が跡を絶えない。