更新日:2006/06/05(月) 22:05

西表島の悪

西表島を食ったマラリア

 アノフエレス蚊(マラリア蚊)、これがマラリアを媒介する蚊である。西表を食いものにし、猛烈な勢いで全島を支配したこの蚊は、1893年、1895年の調査により医学界でマラリアが解明されるまで、その正体はわからず、ジワジワと人体をむしばんでいったのである。
 西表に於けるマラリアの発生は、口碑によれば、1530年頃、西表島、仲良川河口に漂流したオランダ船により輸入されたものらしく、1737年の調査によれば、当時既に西表全島の各部落に猛威を奮っていた。マラリアの事を西表ではフウキ、沖縄本幅ではヤキというが、いずれも焼けるように熱がでるということからきている。当時の人々は、山野、泥沼地の湿気により罹病するものと信じていたように、病気の本体が不明であったため、適した予防法も無かった。そのためマラリアは多くの島民の生命を奪い、悲惨極まる歴史を残している。又旧藩に於ける蔡温の殖民政策では、移住地に奮ったマラリアの影響で死亡者が続出したため、人口の多い村から減少した村へ人口の補充を行なった。マラリアの猛威は西表島が一番ひどく、その次が石垣島で、与那国島、その他八重山の離島がそれに次いでいた。ところに西表島中でも、由布島にはそれがなかったという。沖縄本島にもマラリアはなかった。
 蔡温は、マラリアの恐ろしさについて知識がなかったため、人口の多い沖縄本島、波照間等々から強制移民を更に強化した。新村を創設すれば、次から次へと人は死に、たちまちのうちに廃村と化してしまうのだった。名宰相とうたわれた蔡温も、西表の人々からみれば鬼であったことだろう。崎山節にもみられるように、村民のマラリア地方への移民の苦悩、マラリアに対する恐怖がうかがえる。
 1895年、守屋伍造らの調査により、初めてマラリアの正体が明らかにされた。又これには、熱帯熱、三日熱、四日熱の3型があることも明らかになった。1896年より、有病地にキニーネによる治療が継続された。更に1911年、中川恒次郎を派遣して検血治療に当たらしめた。しかし財政窮迫のためキニーネ配布は普及せず、検血治療は2〜3部落に止まり、一進一退の成績であった。そして1913年、ついに成果をあげずして廃止の止む無きに至った。
 このような事からほとんどの住民は、八重山マラリア問題は永久に土地と共に解決不可能なもとして意識していたようである。その後マラリア対策は、1918年頃から採りあげられ、先ずマラリア撲滅期成会を作り運動を展開したが、財政上の理由であまり振っていない。それでも罹病率は2〜7%内外に食い止めた。大東亜戦争中には、罹病率23%内外、死亡率22%いう惨状を出している。終戦後、米軍と西表住民の努力により、アテプリンの服用、防蚊対策の徹底的実施等、治療、予防等を強化した。この撲滅企画はウイラープランとして進められ、WHOの指導等によりあの恐ろしい風土病撲滅が不可能から可能へと展開し、罹病者は1961年3月で終止符を打った。長い間マラリアと戦い続けた島民も、ここにマラリアから解放されたのだ。今ではマラリアヘの恐怖は安堵へと変わり、マラリアによる死亡者続出のため村を捨てたという事も、遠い昔の話になった。

西表三悪・・・・雨・浦内川・ヒル

 表題に三悪とついた以上、悪と言われる所以があるだろうが、西表縦走中、いや西表第一の景勝地として君臨しているカンピレー・マリユドの滝の景観は、悪を覆いかぶせてあまりある。
 浦内川は訪れる人々の多き故に事故もまた多く起こりがちな所から、悪と言われざるをえないのではあるまいか。特に軍艦岩を中心に、上流の男性的な起伏の激しさのかもし出す壮観さは、訪れる人々を雄原境へ誘い、しばし現世からの逃避をエンジョイさせる中に又恐ろしさを秘めている。加えて雨が降り満潮時とでもかち合えば鉄砲水が起り、さらに恐ろしさが増し、最も危険な地点と化するのである。過去において1969年8月に某高校生1人、3月に本土大学生2人のいたましい犠牲者をのみこんだのもこのあたりである。
 浦内川を河口から舟で8q余もさかのぼると軍艦岩である。満潮時には7〜8トン級のポンポン船が楽に遡流できる。軍艦岩から上流へは川と言うより、むしろ大渓谷で、川中に巨岩大石がゴロゴロし、至る所に幾段にも小さな滝が連続しており、舟は全くのぼれない。舟着場で(軍艦岩)降りたった人々は、カンビレー、マリユドの滝へと足をのばすのは当然の行程であるが、陸路を利用するなら、対岸へ渡らなればならないが、営林署がコンクリートで渡り易いように岩のあちこちを固めてはあるものの、激しい流れの中に足を踏み入れなければ渡ることはできない。
 西表では昔から『雨が三粒降ったら川を渡るな』と戒めているように、雨降りの時は、軍艦岩付近の渡り場は勿論、浦内川の支流、T字川などを渡るのは極て危険である。特に軍艦岩から奥地は本流をはさんで両側に多くの支流、更にその支流に孫支流が分かれ、無数の小渓流はまるで毛細血管のように分かれている。西表島に雨が降ると大半はこれら無数の毛細血管状の渓流から押し合いへし合い集まり、軍艦岩からドッと鉄砲水になって押し出す。空を見上げて「なんだこれっぽちの雨・・・」などとなめてはならない。大小幾百の渓流に3粒づつ降っても軍艦岩に来るまでには相当の水量になる。春の小川はサラサラ・・・本当に見た目にはサラサラかもしれないが、あの深さと幅で更に岩のあい間あい間を流れるのだから速さも倍加し、相当な力で足を引張るのである。石の頭を踏み損ねたり滑ったりすれば体ごとドンブリコである。特に石の頭が8分目以上水に浸っている時には足元に注意。頭の隠れた岩が3分の1もあれば絶対に渡ってはならない。水量の増す前兆である。とにかく、西表島で最も危険であるのが、雨を擁した浦内川だということを肝に刻み付けて、浦内川に臨むべきであろう。
 我々の山行きに関する限りヒルはハブ同様悪名の代名詞である。「ヒル、ダニみたいな男」と引用される通り”ヒル”という語の響きからロクでもない害悪なものとしての印象はいなめない。
 西表島全域に出没するヤマビルは体長約10ミリ、濃い栗色で体はほぼ円柱形をなし、両端にある吸盤を交互に使い体壁筋の伸縮と合わせて前後左右に日陰へと閣歩する。著しい背景性で陰湿性を好み湿地や苔石杉木の下に生息し、多くは他の動物に寄生し血液や体液を吸う。又長期に飢餓や乾燥に堪えうる特質から、山道や獣道の中央に直立し、動物の去来を虎視眈々と待ちうけていられるのであろう。いったん吸いついたらてこでも動かず、”このとき”とばかり食いすぎ、いや吸いすぎて体表面積の10〜15倍ほどにふくれあがり、後はあの世へまっしぐら、大往生するのである。行動中、チクリ(又はムズムズ)という皮膚のうずきを覚えたら、たいていヒルに吸いつかれたなと思えばいいから早急に調べて取り去ることである。しかし手でつかみとろうとしても、途中からちぎれたりでなかなかとれない。タバコの火をくっつけてやるか、米軍製のモスキートをつけると簡単に殺せる。
 ヒルは西表中でも特にここはという箇所に西表第一の登竜門である縦走路(古見−第一山小屋−第二山小屋−カンビレー)がある。
 琉球列島全域が何十年ぶりかの干ばつにみまわれ農作物も大被害を蒙った時(1971年夏)ですら、この忍耐の動物は、ひからびた体で我々に多大な被害を与えた。しかし毒性はないから、それほど恐れるに足らず、吸いつかれた箇所は円形に出血し(すぐ止血する)男性の皮膚はそれほどでもないが、デリケートな女性の皮膚には汚ない吸い跡が残り大根足に又、汚点を増すのではあるが、時がたてば吸い跡も徐々に小さくなりしまいには消え去る。

西表島における有害動物と吸血動物

 胸ふくらませ若者は、キャンパーは、西表へ西表へと出掛けて行く。原生林の島、人々に荒らされていない魅惑的な自然の西表島は、旅する若者に十分な満足感を与える。灼熱の太陽と燃える緑、強烈な海の色彩は我々の心を踊らせ力強い息吹を与える。しかし、一旦山の中に足を踏み入れると、うっそうとした林の中、湿った落葉のどこからともなく、でるわでるわヒルの大群、ブヨの大群、アブにハチ、ダニ次々といろんな吸血虫にお目見えする。美しい自然の中に常に文明に毒されず生存し続ける害虫や吸血虫のいることを忘れてはいけない。もっとも西表島のハブや吸血虫に毒性の強いものはそんなにいないと思うので、その被害を被ったからとて命にかかわるようなことはないと思うが、予防処置程度はやる必要がある。
 さてここで西表島における有害動物や吸血虫の簡単な紹介とその多発生地域をあげてみよう。
西表島には人畜に咬傷を与え、あるいは寄生吸血する数種の有害動物が生息する。サキシマハブ、イワサキベニヘビ、イワサキカレハガ、オオムカデ、サソリ、毒グモなどの有害動物、ヤブカ、ダニ、ブユ(ブヨ、ブト)、ヤマビル、アブなどの吸血動物がそれである。夏季雨天の際は、ブユやヒルに攻撃されることが特に多い。吸血動物に対しては、必ず防除薬品を携行する必要がある。
 古見から浦内川へぬけるコースにはヒルが特に多く発生する。またヒルはその地域だけでなくうす暗いじめじめしたところだといたる所に現われる。知らないうちに人体にべっとりくっつき血を吸うのである。小さいヒルが人間様の血を多量に吸い、まるまる太ってしまいに自分の体を支えきれなくなりポロッと落ちるのを見るとぞっとする。ヒル予防にはリペラントという軍払い下げの虫よけがよく効くといわれている。靴下は2枚はき露出部分をできるだけ少なくするなどの注意も必要である。ヒルはヘビと同じように1列にならんだ3番目あたりの人に多くつくなどともいわれている。西表島で1番悩まされるのがヒルであり、次第に西表の名物になりつつある。ブユはブヨ又はブトとも呼ばれ、丁度ハエを小さくしたような形をしている。咬まれるとチクッと痛みを感じる。薄暗く湿った所ならどこにでもいる。予防薬にはリペラントなどの虫除けがある。露出部を少なくするよう、気をつけよう。なおブユは沖縄本島北部山中で唯一の吸血虫として恐れられている。アブはギンバエと大きさ、形が似て目玉が緑色に輝いている。刺されるとハチのように痛みがすごい。古見から浦内川への横断道路でちょくちょく現われる。ダニは主に水牛についていて、仲間川から御座岳ヘ行く近辺や水牛の多いところに特に多い。一旦くっつくと頭部が皮下にもぐり簡単にはぬけない。ダニ自身又はダニの有害分泌物などダニに固有なものが原因になってダニ症を起こすこともある。

ハブについて

 琉球列島にはおよそ24種のヘビが生息し、そのうち7種は有害ヘビである。毒ヘビと無毒ヘビは、通常頭部の形によって見分けることができる。だいたい毒蛇は三角形の頭をしており、無毒ヘビは概して楕円形である。また無毒ヘビは人間を見るとその場から逃げるが、毒ヘビは動作が鈍く、近づいても逃げようとしない。西表では無毒のサキシマスジオと、有毒のサキシマハブがすんでいる。
 サキシマスジオの体背面はオリーブ色を呈し、5本の淡褐色の縦斑があり、平地、山地の区別なく生息する。体長は1mぐらいあり、大きいのになると2m近くにもなる。
 サキシマハブは頭部に黒褐色の縦線があり、また眼尻からにかけても同様の黒線がある。山地、平地の区別なく生息しているが、特に山地に多い。習性はハブに類似しているが、ハブほど機敏ではない。本種はハブに次いで狂暴性があるが、その毒性は弱く、かまれて死亡した者はほとんどいない。

ハブの一般習性

 ハブ属は直射日光を嫌い、日中の行動は山林内に限られる。日中は石垣、墓、ほら穴に休息しており、夜間に行動する。また雨天、早朝、夕方には比較的多く出没し、ときには樹上にも見ることができる。ハブは11月上旬から4月上旬まで冬眠するが、実験によると、19度から20度で冬眠から目覚め、23度でエサを求めて行動するという。冬眠中でも気温が上昇すると活動するので、暖冬の日には注意してもらいたい。ハブ属の最も好むのはネズミ年類であり、ネズミの発生消長は、ハブの活動と密接な関係がある。ネズミの多い地域では注意をしよう。ハブはたとえ空腹であっても、直射日光下ではほとんど活動しないが、山地に於いては日中でも活動しており、山林内の行動は特に注意を要する。また活動期間に於ける降雨は、ハブ属の活動を助長するので、注意しよう。
 野外に於いてハブ属に出会っても、ハブは警戒するだけでほとんど行動を変えない。進行方向に直面してlmの距離に接すると、無毒ヘビは速やかに方向を変えるが、ハブ属は敵対行動をとる。ハブの咬傷の軽重は毒液の量に左右され、ハブがとぐろを巻いている時は強く打咬し、毒液が多量に注入される。
 ハブを積極的に駆除するには、人力、あるいは天敵が利用される。ハブの天敵には、ワシ、トビ、タカ、ハリネズミ、マングース、イタチ、イノシシ、アカマターなどがいる。イノシシがハブを食う事は、周知の事実として知られているが、その糞にはハブの毒牙が残っていることがあるので、これを踏むとひどい目にあうことがある。

ハブの応急処置

 医者の治療を受けるまでの時間、咬傷部位、注入毒量がハブの治療に大きく影響する。咬まれた時に驚いて走ったり、そのハブを殺そうと追いかけるのは禁物である。動くと毒まわりが速くなるので、できるだけ安静にした方がよい。そして血液循環を止めるため、咬傷部位をきつく縛り、毒が他の部分へ広がるのを防ぐ。次いで傷口を切開し、何回も毒を吸引した後、消毒する。その後は、ただちに医者の手に委ねた方がよい。医者の手当てが早い程治りがよい。それまでに時間を要する様なら、濃い食塩水で温湿布をし、しばらく毒を吸い出し続ける。それでも腫れは進行するので、縛る場所を更に心臓に近い部分に移し、前の緊縛を解く。また多量の水を与えて小便を出させ、更に安静を保たせるためあおむけにさせる。ハブの治療には血清が使われているが、素人が持ち歩くことは禁じられている。
 ハブについて少しばかり追記しよう。ハブの黒焼き、酒漬け、その粉末および胆のうの乾燥した物は滋養強壮剤になる。また乾燥した胆のうは、酒に入れて飲めば万病の薬になると言われている。